美は、私たちの生を肯定する

温かみのあるテーブルにパリッとしたクロス、磨き上げられたお皿。風に揺れる真っ白なカーテンと、控えめに飾られた一輪挿し。

そして身につけるだけでテンションが上がるお気に入りの一着と、口にするだけで笑みがこぼれる大好きな一皿。

美しく幸福な一瞬は、私たちが『生きること』を肯定してくれる。

ただ、高いものと美しいものは似て非なるものだ。

たしかに美しいものは往々にして値段も高いことが多いけれど、高ければ美しいわけではない。

美しいものが高いのは、そこに思想と哲学、そして使う人への気遣いが込められているからだ。

ものづくりだけではなく、接客においても、丁寧に接するということは単に正しい敬語や所作を身につけるだけではなく、相手に対して想像力を働かせ、その人に寄り添うということだと私は思っている。

いいものを選ぶこと、いい場所に行くことは、そういう本当の意味での『丁寧に扱われる』感覚を私たちに思い出させる。

自分は丁寧に扱われるべき存在であり、適当にあしらわれたり簡単に傷つけていい存在ではないということ。

そうやって自分を大切にすることを思い出すことで、人は他の人のことも大切にできるようになるのだと思う。

優しくされた経験がなければ人に優しくする方法を学ぶことは難しいし、人の心遣いに気づけない人が他人を気遣うことはできない。

だからこそ、心のしなやかさを取り戻し、自分を肯定する感覚を思い出すというところに美と接する意味があるのではないだろうか。

私たちは普段の生活の中で、つい自分に対して『まあこれでいいや』という選択をしてしまう。

とりあえず安い方でいいや、多少部屋が散らかっていても明日片付ければいいや、みんなが賛成することに従っていればいいや…。

もちろん時々は甘やかしたり手を抜くことも重要なのだけど、『私は大事にされている』と感じることも同じくらい大切だ。

それは友人や家族から受け取ることもあるだろうけど、近い存在だからこそ歯車が噛み合わないこともある。

そんな時に意識して美しい空間へ足を向け、美しいものと相対し、美という静寂に受容してもらうという方法を持っておくことは、自分を安定させる手段のひとつだと私は思う。

美は生を受容しながら、美を目指す原動力を与える。
そして美は特別なものではなく、私たちは等しく美しいものに触れる権利を有している。

人が心の拠り所としての美に触れることで回復し、世の中がより強く優しい世界になっていくサイクルを回すこと。

そのために自分の一生をかけてやるべきことは何だろうか。

***

いい問いを設定すれば、もし自分が一生をかけて解けなかったとしても、必ず後に続いて解こうとする人が現れる。

浅い問いを性急に解こうとするのではなく、まず問いを深めることでより大きな課題を解きたい。

ひたすらに問いを深めた2018年、来年はこの問いをベースに少しずつ自分の課題を解いていこうと思う。

2019年もよろしくお願いします!

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2018年最後のおまけは、「今年一番学んだこと」。

私の学び・オブ・ザ・イヤーについて書き記しておきたいと思います。

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最所あさみ

余談的小売文化論

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