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すべての経験は「人間形成の道」である #スポーツが育ててくれた

「努力するってかっこいいことなんだ」と気づいたのは、中学三年生になる直前の、春先のことだった。

雑誌に載っていた端正な顔立ちのお兄さんが語っていた、努力の大切さ。田舎育ちでスポ根コンテンツに触れたことのなかった私は、素直な心でその言葉たちを受け取った。

アイドルを追いかけるような軽い気持ちで高校球児に興味を持ったことが、その後自分の人生に大きな影響を与えるとは、まだ知るよしもなかった。

それまで高校野球の中継は好きなテレビ番組が見られなくなる邪魔なものでしかなかったのに、憧れの選手が出る試合はテレビにかじりつくようにして見た。ルールも何もわからず、ただテレビに映る選手の姿にはしゃいでいただけたったけれど。

試合を見て泣いたのも、このときがはじめてだったように思う。自分のためではなく、他人のために流す涙。競技は違えど、同じく全国制覇を目指していた立場として、その夢が潰えた瞬間の悲しみや引退の切なさが他人事に感じられなかったのだと思う。

甲子園は国民的人気を誇るコンテンツなので、大会が終わった後も有名選手は雑誌に引っ張りだこだし、テレビで特集されることもある。好きな選手が出た番組を録画したテープは、辛いことがあるたびに見返していたので私が高校生になった頃には擦り切れて再生できなくなっていた。

はじめのきっかけは「この人かっこいい!」という単純な同期だったけれど、高校球児の勝利にひたむきな姿勢やそこに付随するストーリーにどんどんハマっていき、気がつけば野球そのものが好きになっていた。

「どうやってルールを覚えたの?」とよく聞かれるのだけど、自分の中で特に「勉強した」という感覚はない。ただひたすらに試合を見ていたらいつのまにかルールも戦い方のセオリーも覚えてしまっていただけだ。

そこから5年ほど経ってプロ野球にもハマったことで、野球への情熱はさらに加速した。アマチュアにはアマチュアならではの感動があるけれど、プロにはプロならではの哲学や苦悩がある。1年かけて戦い抜くための戦略や、5年、10年の単位でいかにチームを育成していくかの視点の面白さは、社会人になったからこそ気づけたことでもある。

私は野球未経験なので、技術的なことはわからないことが多い。それでも10年以上見ているとチームや選手の特徴もだいたい掴めてくるし、ルーキーの頃から見てきた選手がFAで移籍したりメジャーに挑戦する姿も見送ってきた。

その間にはもちろん、なかなか芽が出なかったりスランプに陥ったり怪我で離脱したりと辛い時期もあった。どの選手もずっと順風満帆なまま野球人生を送れるわけではない。特に年齢が上がって体力が衰えてきた選手が辛い決断を迫られる場面を、これまで幾度となく目にしてきた。

好きな選手だからこそ、できるだけ苦しむことなく活躍する姿だけ見ていたいのがファン心というものだろう。でも実は私が一番勇気をもらっているのは、お立ち台でキラキラと輝く姿よりも苦しみを乗り越えようともがく彼らの姿のような気がしている。

以前栗山監督にインタビューさせていただいた際の記事を、今でもことあるごとに読み返す。

「辛いからこそ人間は努力するんだ。こんなに大事なことはない」。

ビジネスの世界でも華やかな時間はほんの一瞬で、日常の99%は泥臭くもがきつづけていることばかりだ。だからこそ、同じように悩んだり壁にぶつかったりしながら諦めずに努力を続ける姿を見て、「私ももう少しだけがんばろう」という気持ちが湧いてくる。

すぐにへこたれがちな自分を戒め、叱咤激励するために、私は野球を見ているのかもしれないとすら思う。

気づけば、野球について書いたnoteは100本を超えていた。

どの投稿も、彼らが苦悩を乗り越えていった軌跡から私が学んだことばかりだ。たとえメディアでは取り上げられないような小さな活躍だったとしても、私にとっては大きな意味のある試合から、学んだことたち。

もちろん勝つのが一番嬉しいし、選手の数字や記録に注目が集まりやすいのが現実だ。でも私が野球を見る理由は、私でなければ気づかなかったかもしれない小さな奇跡に気づく瞬間を積み重ね、自分の学びや力に換えていくことなのかもしれない、と思う。

私は野球選手を応援しているのではなく、野球を通して選手という人間を応援している。そうすることによって自分はどうありたいか、そのために何をやるべきかを考えさせてもらっているのだ。

剣道の世界では、昇段試験の筆記で必ずこの言葉を覚えさせられる。

「剣道とは、剣の理法の修練による人間形成の道である」

何も考えずに暗記だけしていた頃はわからなかったけれど、大人になってみてこの言葉の意味を少しずつ理解し始めた。

剣道のみならず、野球も、他のスポーツも、もちろん普段の仕事や生活も、すべては人間形成のための修練である。

苦しみにどう立ち向かうのか。何を美学とし、どう行動するのか。自分の能力をどう生かし、人と補いあっていくのか。

野球を通して得たまなびは、私にとって人間形成の道を歩むための目印のようなものだ。

私はこれからも、彼らが迷い、悩み、もがく姿を道標としながら人生を歩んでいくのだろうと思う。

「努力ってかっこいいことなんだ」と学んだあの日から、私は野球に学び、野球に育てられながら生きている。

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アンダーアーマーさん主催の投稿コンテスト「#スポーツが育ててくれた」に参加しています


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