洋服はコミュニケーションツールになっていく
常々『店舗はメディアになる』と言っている私ですが、じゃあ洋服はこれからどうなるのかを考えた時、今後の役割は『コミュニケーションツール』なのではないかと思っています。
それはここ数年国内外で『リンクコーデ』と呼ばれる、おそろい未満ドレスコード以上のわかる人にだけわかるかたちでコーディネートを合わせることが定番かしつつあることからも見てとれます。
昔から女子が集まればドレスコードを決めてちょっとしたおそろい感を楽しむのはよくありましたが、今はさらに進化してディズニーでかわいい写真を撮るために友人同士でリンクさせたり、恋人や親子でリンクさせるコーディネートもインスタグラムやあらゆる世代の雑誌で紹介されています。
こうしたファッションの楽しみ方は、自分がおしゃれになりたいという欲望よりは仲間同士の結束を強めたり、その瞬間の共有というコミュニケーションの側面が大きいのではないかと思います。
そして昨日、佐渡嶋さんがこんなツイートをされていたのを見て感じたのは、意図したおそろいだけでなく、洋服や持ち物が偶然かぶることによるコミュニケーションの意味もあるということ。
先日、とあるバッグを見て『これ!もしかしてベイスターズのグッズじゃないですか!?』と思わず声をあげてしまったのですが、わかる人にだけわかるものはそれだけでグッと心の距離を縮めてくれます。
それはアパレルブランドも同じで、洋服やアクセサリー、スニーカーなど『それってもしかして』というコミュニケーションはこれまでもいたるところで発生してきたはずです。
さらに今はすべてがコミュニティ起点になってきているため、持ち物や洋服もコミュニティの共通言語として機能することが増えてきました。
つまり、自分がおしゃれに見えるかどうかよりも、何に属し、どんな価値観を持っているかを表明する手段として身につけるものを選ぶ人の割合がますます高まっていくのではないかと思います。
もちろん、プロダクトとして価値のあるもの、デザインや縫製が美しく人の体を美しく見せる洋服も変わらず支持され続けると思いますが、ファッションオタクではない大多数の人にとってユニクロが当たり前のものとして受け入れられたように、ハレの日に着る洋服の選び方にも幅がでてくるのではないかと思うのです。
そしてその流れで成功しているのがD2Cといわれるビジネスモデルで、これは単に直販のみで卸をやっていないブランドというだけではなく、明確な哲学という『価値観を身にまとう』ニュアンスがあるのが重要なポイント。
最近アメリカでは政治的主張や社会への問題提起を表明するようなファッションがひとつのジャンルになりつつあるのも根底は似ているような気がします。
つまり、今後は自分自身に表現したい価値観があり、その価値観に合致したブランドのアイテムを身につけることでデザインとはまた違ったかたちのかっこよさを追求するという消費行動が今後ますます増えていくはず。
例えばIT企業がよく作るオリジナルTシャツをはじめ、伝統的な小売ブランド以外にも様々な業種が製造から販売までを手軽にできるようになったからこそ、ファッションを通してよりはっきりと意見を表明することができるようになったのではないかと思うのです。
昔から『外見は一番外側の中身』と言われますが、デザインや素材のよさだけではなく、コミュニケーションツールとしての洋服もこれからどんどん増えていくのかもしれません。
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今日のおまけは、日本語記事ですが世界のECプラットフォームの覇権争いが整理されていて面白かったのでちょっと考察してみたいと思います。
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