いつだって、本たちは絶妙なタイミングでわたしのもとにやってくる。

「あのときこの人に出会ったのは必然だった」
と同じくらい
「あのときこの本に出会ったのは必然だった」
と思うことがたくさんある。

いや、下手すると本の方が多いかもしれない。
わたしはきっと、必要な本を引き寄せる嗅覚が人より優れている。

いつも何かしらの本を読んでいるけれど、辛いことがあったとき、元気が出ないときはいつもより本屋に寄ることが増えるし、本に向かう時間も増える。

自分の気持ちが乗らない時に無理して人に会うと、相手に当たったり気を使わさせてしまうから。
そんな悪循環にハマらないように粛々と本を読む。

女も25を過ぎるとそんなに簡単に人の前で泣けないし、辛いとか疲れたとかわがままを言える相手も減るし、たくさんの「だまって飲み込むべきこと」が押し寄せてくる。

どんなに仲良しの友人でも愛する家族でも恋人でも、言えることと言えないことがある。
それが大人になるということだ。

その点、本はいい。
私が泣いた箇所を言いふらしたりしないし、その涙のわけなんて知る由もない。
まぁ、そもそも本人もよくわかっていなかったりするけれど。

私は今まで必要なときに必要な本を手にとってきたな、と我ながら自慢に思う。

沢村貞子、森田たま、幸田文、三浦綾子、田辺聖子、俵万智。
これまで、何かにぶつかったとき支えてくれたのは美しい文章を書く女流作家たちの小説とエッセイだ。

小説やエッセイというのは普段の生活で役立つものではなくて、いざというときに心を支える杖のようなものだと思う。
このフレーズに出会うためにこの本を手にとったのだ、という瞬間がきっとある。

そう思うのは、わたしにとって"本"という存在が物心つく前から付き合ってきた無二の親友のようなものだからだろうか。

大人になるにつれてますます仮面厚みを増していくけれど、素のままの透明な心で向き合える本たちはこれからも折にふれてわたしという人間を支え続けてくれるのだろう。

さぁ、明日はどの本を読もうか。

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