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「ままならなさ」を抱きしめて

映画のエンドロールを眺めながら、『人生はなんてままならないものなのだろう』と思う。

物語が終わって本を閉じるとき、『誰かだけが悪いなんて、割り切れないなあ』と思う。

いつの頃からか、みんながハッピーになって終わる物語にあまり触れなくなった。

ままならなくて割り切れなくて、でも全員が一生懸命で愛しくて。

そういう物語の方が、好きになった。

それはつまり、本当の意味で人生を愛し始めたということなのかもしれない。

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生きていると、『誰も悪くないのに全員が傷ついていて、でもそこから身動きがとれなくなってしまうこと』が世の中には思いの外たくさんあることに気づく。

誰かがどこかで諦められればいいのかもしれないけど、そうやって簡単には割り切れないからこそ人間の感情は奥深い。

好き嫌いとか、プライドとか、価値観の違いとか。

損得だけではジャッジできない自分自身の複雑さに、私たちは苦しめられる。

大切なものはひとつじゃなくて、あれもこれもと大切なものを集めすぎた結果、人生はどんどんままならなくなっていく。

『ロミオ、どうしてあなたはロミオなの』という嘆きは、恋人だけが大切なのではなく、家族も今の暮らしも、他にも守りたいものがたくさんあるからこその感情だろう。

幸福は、積み重ねるほど私たちをそこから動けなくさせる。

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『ままならない物語』は、後味が悪いのとはまたちょっと違う。

悪意の結果ではなくて、全員が一生懸命に幸せになろうとした先で、歯車が噛み合わなくて傷つけあうしかなくなってしまうこと。

幸せにすることと傷つけてしまうことは紙一重で、私たちは幸せを与え合いながら、同時に傷つけ合って生きている。

そういう『ままならなさ』とか『割り切れなさ』みたいなものを、切なくも愛しく思うこと。

人生を愛するっていうのはつまり、曖昧なものを曖昧なままにして、無理矢理いじくろうとしないことなのかもしれない、と思う。

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