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「回復」に導くことも指導の役割

「結果がすべて」の世界において、緊張はメンタルの問題で語られがちだ。緊張するな、背負いすぎなくていい、気楽にいけ──。勝負の直前には少なからずこうした言葉がかけられる。

しかし自分の意識に関係なく、体が先に緊張してしまっていつもの動きができないときがある。スポーツの世界では「イップス」として知られる症状だ。

イップスという言葉自体はビジネスの世界ではあまり馴染みはないが、単に名前がついていないだけで「あがり症」と呼ばれる人たちは少なからずイップスに近い症状も現れているのではないかと個人的には感じている。大勢のクライアントの前でのプレゼンはもちろん、最近は会社員でもイベントに登壇したり生配信に出演する機会も増えてきた。

普段なら問題なく話せることが極度の緊張下では言葉がでてこなくなくなり固まってしまったり、受け答えのピントがあっていなかったりするという話もよく耳にする。軽度であれば「緊張しやすいから」「慣れていないから」で済む不調も、業務に支障がでるほど影響がある場合は本人の気持ちの問題ではなく、何かしらの医療的アプローチが必要だろう。

スポーツの場合は、その「医療的アプローチが必要な状態」がイップスと呼ばれている。

とはいえ、イップスを公言する選手はまだまだ少ない。イップスにはどうしても「心の問題」のイメージがある分、現役選手に対してイップスの話題をふるのはタブーな空気もある。

しかし先月、中日の福谷選手がnoteで自身のイップスについて3ほんの記事をアップされていた。

記事の中ではイップス当事者として、イップスについて発信する意味を下記のように説明されていた。

イップス経験者が「イップスってみんなが思ってるほどネガティブにとらえなくていいよ」と発信することで、1ミリでもイメージが変われば嬉しいです。

実際に3本の記事を通して読むとイップスに対するネガティブなイメージはかなり払拭される。恥ずかしいことでもないし、絶望するようなことでもない。どんな選手も何かしらの怪我を経験したことがあるのと同じで、イップスも「経験しなくてすむならしないにこしたことはないが、なったからといって即選手として終わりなわけではない」ものなのだとわかる。一度手術をした箇所が以前とまったく同じ感覚には戻らないように、その経験を含めて自分のプレイスタイルを作っていくしかない。

そう考えると、福谷選手が「ほとんどの人がイップス持ちじゃないか?」と考え始めたという話も納得がいく。そして野球選手だけではなく、ビジネスパーソンも何かしら自分だけの「イップス」を抱えているものなのではないかと思う。

また福谷選手の記事の中に「克服ではなくうまく付き合う」という話が出てくる。

「イップスを克服しよう」から「イップスとうまく付き合おう」と思うようになってからプレーが変わっていきました。

完全に元通りにはならなくても、イップスを含めた現在の自分の中でのベストを尽くす。そのために技術と知識が必要なのであり、メンタルさえ鍛えればイップスが完全になくなるなんて幻想だ。そうやって受け入れられるようになってはじめて、人は「回復」への道を一歩進めるようになるのかもしれない。

もうひとつ、イップスにまつわる記事を紹介したい。自分自身も現役時代にイップスに苦しみ、コーチに就任した後は指導者目線でイップス問題と向き合う中日の荒木コーチのインタビューだ。

イップス自体の苦しみはもちろんだが、イップスに陥った選手への理解もまだ追いついていない時代を経験してきたからこそ、荒木コーチのまなざしは優しく、強い。

「もし、今後イップスの選手が出てきたら、向こうが『もういいです』と言うまでとことんつき合おうと思っています。『この方法をやろうよ』『今度はこうしてみたら』と。だって、気持ちひとつで片づけられる問題じゃないんですから」

この姿勢は、彼自身が当時の指導者たちに「気持ちの問題」で片付けられてきた悔しさから生まれたものだという。もちろん根底には緊張やプレッシャーがあるが、その「気持ち」は技術や知識によって乗り越えられることもある。もしくは、なにか別の動きを加えればイップスによってできることが制限されたとしてもカバーできるかもしれない。

「気持ちの問題」と片付けることは、ともすると問題を本人の性質や能力に矮小化してしまうことにもなる。振りかざされた精神論に傷つくのは、「それはお前自身の問題だろ」と突き放されてしまうことが理由なのではないだろうか。

記事の最後に、イップスで悩む選手へのアドバイスを求められた荒木コーチはまず完璧主義からの脱却を提言していた。

「『100パーセントを求めるな』と言いたいです。」

遊撃手だった井端選手と共に「アライバ」コンビと呼ばれ、鉄壁の守備を求められてきた荒木コーチが語るからこそ、重みのある言葉だ。特に守備とバッティングの対比は私もハッとさせられた。

「どんな名手でもエラーで負ける試合はある。守備は100パーセントできて当たり前に見られますけど、バッティングは10割を打てないとみんなわかっているじゃないですか。2割から2割5分、2割8分、3割と少しでも打率を上げようと練習して、打てるようになったら喜べる。だから守備もひとつアウトを取るたびに喜べるくらいでもいいんじゃないですか。

打撃は3割成功すれば名選手と褒められる。しかし守備は100%成功して当たり前、失敗したらブーイングの「減点方式」だ。そしてこの減点方式は投手も同じだ。だからこそ大半のイップスは守備かピッチングの場面で散見されるのだろう。

「イップスを受け入れて、『自分の確率はこんなもん』と認識する。あとは、そこから少しずつ確率を上げていけばいい。そうしないと、何も始まりませんから」

しかしいくら自分だけが完璧主義に陥らないように気をつけたとしても、周りからのプレッシャーが大きければどうしてもそちらに意識がいってしまう。一流の世界では結果によって出場機会も扱いも変わるのは仕方がないが、指導者であるコーチは彼らの失敗を責めるのではなく「ここまではできるようになったな」「次は何を試してみようか」と回復の過程で伴走していくことが求められるのだろうと思う。

「指導」という言葉には、叱咤激励して能力を伸ばすイメージがある。しかし本当の意味で成長を促すには、できないことを本人だけの責任にせず、回復の過程をともに自分ごととして考えてくれる存在が必要なのではないだろうか。

苦手な場面、できないこと、「自分はだめだ」と否定する気持ち。ビジネスの場面でも、結果が出ないことを本人だけのせいにせず、問題にともに向き合う姿勢がマネジメントに求められているのではないかと思うのだ。

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