明るい場所に立ち続けるためには
きらびやかなステージに、割れんばかりの拍手。
表舞台に立つ人たちはいつも眩しく、私たちに希望を与えてくれます。
しかし、ここ最近立て続けに飛び込んでくる自殺による訃報のニュースを耳にするにつけ、明るい場所に立ち続ける苦悩に思いを馳せずにはいられません。
私はK-POPも好きなので、韓国芸能界でもたびたびこうした報道があり、そのたびに胸を痛めてきました。
それぞれうつ病を患ったり、アルコールや薬物中毒などの不調があったと報道されることが多いものですが、表舞台に立つということは、そうした不調がでるほどの環境と表裏の関係なのかもしれません。
それは単に批判を受けたりネガティブなことを言われることだけではなく、そもそも人の体はこれだけ多くの人たちの目に晒されて耐えられるようには作られていないのではないか、と思うのです。
活版印刷によって新聞ができ、ラジオが生まれ、いつしかテレビが主役となり、そして今はインターネットで瞬時に多くの人の目に触れる時代です。
海外セレブともなれば、何億人もの人にその一挙手一投足を詮索され、あることないこと噂され、有名だからという理由だけで近づいてくる人の多さに傷つくことも多いはず。
ポジティブであろうとネガティブであろうと、自分の言動への反応が急激に増えることは、人に急激なストレスを与えるもの。
周囲からの期待に応えられない自分への葛藤で押しつぶされてしまう人を、本人の心の弱さゆえと断罪することは私にはできません。
ちょうど昨日NewsPicksで公開された記事の中にも、こんな言葉が出てきました。
最初は「世間の声」に耳を傾けていたファーラーだったが、だんだん自分がどうしたら良いのかわからなくなってしまったという。
「結局、人は『自分が見たいもの』を私に投影しているだけだと気づきました」
記事の中には、「他人からの期待はとかく移ろいやすい」という言葉もでてきます。
多くの人がそれぞれに投影している亡霊のようなイメージを背負って、それでもなお確固たる『自分』を持ち続けること。
長く表舞台に立つために必要なのは、そうした自分を見失わない力なのかもしれません。
もちろん応援は必ず力になるし、応援してくれる人がいるからこそがんばれるということは間違いない事実。
しかし、人が期待してくれる理想の自分を演じきる元気がなくなったとき、人は心身に異常をきたし、ある日ふと気持ちが切れてしまうものでもあると思います。
幸せになるために努力して才能を磨き、スターダムを駆け上がって喝采を浴びていたはずが、いつのまにかその期待に押しつぶされ、自分に打ち勝てなくなってしまわないように。
急激に時代の寵児となるよりも、本当に信頼できる人たちとゆっくり大きくなっていきたいと思う今日この頃です。
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