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『バチェラー』『テラスハウス』から考える副音声の価値

新エピソードが公開されるたびTwitterのタイムラインが感想や考察で埋め尽くされ、『あれ見た?』が合言葉になる。
バチェラーやテラスハウスなどの恋愛リアリティーショーは、現代の月9としての役割を果たしているように思う。

それらの番組で印象的なのは、VTRだけではなくスタジオであれこれ意見するMCの存在だ。
的確なつっこみと解説は視聴者の理解を深めたり、溜飲を下げたりする効果がある。
海外でのテラスハウス人気は、MCによる日本文化の解説に支えられている部分もあるという。

リアリティショーフォーマットとでも呼ぶべきこの番組の作り方は、地上波やAbemaTVでも広がり、今や追いきれないほどの恋愛バラエティ番組が存在する。

遡ってみればこの『MCがいる恋愛リアリティショー』はあいのりや恋するハニカミなどTVで古くから使われてきた手法ではある。
しかし中身と同じくらい『MCがどんなコメントをしたか』に言及されるようになったのは、バチェラーやテラスハウスをはじめとするここ最近の変化のように感じる。

その理由として考えられるのは、私たちが物語自体よりも『切り口』を求めるようになったことにあるのかもしれない。

物語のフォーマット自体には、多種多様なバリエーションがあるわけではない。
特に一瞬で情報が共有されるようになった今、どこかで聞いたような物語はそのへんにごろごろしている。
つまり物語そのものから新鮮味を感じることが難しくなり、物語を『どう解釈するか』によって発見の喜びを感じるようになったのではないだろうか。

実際、バチェラー3の放送直後は様々な『解釈』『考察』がタイムラインを賑わせたし、MC陣の発言もいたるところで引用されていた。
SNSによって瞬時に感想を共有できるようになった今、物語は感想が付随してはじめて完成するのだ。

こうした流れを見ていて思ったのが、今後副音声がつくことを前提としたコンテンツづくりと使用権の付与がありえるのではないか、ということだ。

例えばYoutuberとしてバチェラーやテラスハウスのコンテンツホルダーと契約すれば、本家の映像を自分のYoutubeで引用しながら解説動画を作ることができ、そこで得た収入の一部をコンテンツホルダーに納める。
その中で人気になった解説番組は本家であるAmazon VideoやNetflixで配信してもよいかもしれない。

視聴者からすれば1つの物語でいくつもの視点から解説が見られることになるし、Youtuberはネタに困ることがなくなる。
ゼロからコンテンツを作るのは多大な労力が必要だが、すでにあるコンテンツの解説や感想であればハードルが低く、創作のハードルをぐっと下げることができる。

さらにコンテンツホルダーにとっては、コンテンツと視聴者の接点が増える上にそれらが増えれば増えるほど自分たちの利益にもなる。
話題になるものを作れば作るほど経済的にも還元され、次のコンテンツを作る資金になる仕組みは、ビジネスモデルとして健全なのではないかと思う。

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いつの頃からか、本を読んだり映画を見たりしたあと、すぐに『作品名+感想』で検索するようになった。
自分が気づいていなかった視点やメッセージ性、時代背景など発見の喜びを作品そのものよりも批評に求めるようになったのだ。

自分自身の感受性を育てるという意味では賛否両論ある行為だが、同じものを観たり読んだりした他人がその作品に対してどう考えたかを知りたいと思うのは自然な感情だと思う。
現代は、単にそのスピードが上がっただけの話だ。

そして他人の感想に到達するスピードが上がった結果、作品を楽しむために観ているのか、他人の感想を読むために観ているのか、もはやその目的すらも曖昧になりつつあるように感じている。

特にその時期話題になった作品は、他人の感想を読んで観たくなるというより、自分もその感想戦の輪に入りたいという欲求から手に取ることが多いように思う。

つまりこれからのコンテンツに必要なのは感想を言いたくなる余白があること、そしていい感想を公式に取り上げ、『感想の再生産』を起こすことなのではないかと思うのだ。

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