「消費される」とは何か
私は常々、消費されないことを目標にしてきた。
自分自身も消費されたくないし、自分が作るものは消費されることなく長く生き続けるものであってほしい。
まちを歩いていて、あるいはインターネットの海を泳いでいて、消費されているものを見ると胸が痛む思いがする。
そこではたと思う。
私の思う『消費される』とは具体的にどういう状態のことなのだろうか。
そしてそれは、本当に忌むべきことなのだろうか。
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普段の生活の中で、『これは消費されている』と感じるもの。
SNSやマスメディアで話題になったからと人が殺到しているお店。
『みんながもっているから』という理由で売れていく商品たち。
有名だから、人が呼べるからという理由でメディアやイベントでもてはやされる人。
善悪の問題ではなく、『消費されているかどうか』という観点でいけば、これらのものは確かに消費されているといえる。
では、その共通点はなんだろうか。
具体例を並べてみて気づいたのは、『判断を他人に委ねた人に選ばれている』ということだ。
流行りだから一度は行ってみたい、持っている、会ったことがあると人に言いたい。
みんなが話題にしているものだからこそ、その体験がステータスになるという理由で選ばれるのは、まるでスタンプラリーのひとつの枠になったようなもの。
それが私にとって『消費される』ということなのかもしれない。
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