後悔しない日なんて永遠にこないんじゃないか、というはなし

後悔なんて、しようと思ったらするポイントは無数にある。
あー、隣の人の注文したやつの方がおいしそうだったかも、という小さなことから、なんであのときこの人を選ばなかったんだろう、という人生の決断まで大小様々な後悔が。

変えられない過去よりも変えられる未来、というけれど、あてのない未来を見て走ってばかりいると止まり方がわからなくなる。

あの時こうしてたらこうだったのかな、こうしてさえいれば、という今流行りの"タラレバ"は人にくどくどと話すと面倒な人だけど、寝る前に妄想を膨らませて楽しむ分にはなかなかいい材料なんじゃないだろうか。特に恋愛なんかは下手な少女漫画を読むよりおもしろかったりする。

あの時自分が選ばなかった人の手をとっていたとしたら?
お付き合いの中でこういう行動をとっていたら?

そんなことを考えながらパラレルワールドに迷いこむのは、非生産的だけど心の余裕がないとできないことでもある。

後悔というのはそもそも、どんな幸せに包まれていたとしても背後から忍び寄ってくるもの。

独身でいるとあの時結婚していたら、という後悔にさいなまれ、結婚したらしたで別の人と結婚する道もあったのでは、と思うし家庭になんの不満もなくてもキャリアウーマンの道があったんじゃないかと悔やむものだろうし。

すべてを手に入れることなんてできない、その"すべて"たちはそれぞれがトレードオフの関係だから。自由と安定は両立できない。

人が「別の道もあったのかもしれない」と気づくとき、そこに後悔が生まれないことは絶対にない。
想像というのは、どんなに割り引いてもいつだって現実より1.5割増しくらいに素敵に見させるものだから。

そもそも私はこれまでに立たされた人生の岐路の中で後悔しなかったのは引越しと転職と恋人との別れくらい。
その先に不幸しかないとわかったとき、なにかを「やめる」決断は後悔につながりにくいのかもしれない。

でもそれ以外の今日することや着るもの、自分の人生の戦略なんかも後悔しなかった日の方が少ないんじゃないだろうか。中には後悔と嫉妬を混同してるときもある気がするけど。

他人の人生パターンを見て、嫉妬して我が身を振り返って後悔して、みんなお互いにそんなことばっかりしている。
でも裏を返せば、自分の人生以外に幸せ(に見える)な人たちがこんなにたくさんいるというのは素晴らしいことなんじゃないかと。
昔は「この道しか幸せとはいえない」というレールがあって、そこから外れたら「どこでレールから外れてしまったんだろう」という後悔しかできなかった。

でも今はたくさんあるレールの中から、なんでこれを選んだんだろう、という後悔ができる。
実は誰かから羨まれているかもしれない私だけのレール。

後悔ばっかりの日々もよくないけど、たまには他人の人生を見て羨む瞬間だってないと世の中のバランスがとれないやね。

たくさんの希望に満ち溢れたこの世界に生きている以上、「我が人生に一片の悔いなし」なんて瞬間はきっと私には訪れない。

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