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人との違いを知る瞬間を、愛しく思うこと

最近、よく「違う星からきた人」に出会う。

もちろんそれは地球外生命体とかUMAのようなNASA案件ではなくて、価値観が違いすぎて国どころか生まれた星が違う、と感じるような人のことだ。

価値観も判断軸も何もかもが違うから、もはやときどき話が噛み合わない。

例えば「家族」「仕事」といった単語ひとつとっても、そこに含んでいる意味が違っていて、単語の定義からはじめなければならないほどに、私の理解の範疇を超えた人たち。

そして彼ら・彼女らのような「宇宙人」と遭遇する率が昔より高まった気がするのはきっと、自分の幸福を理解し言語化した上で、他人の評価ではなく自分の評価軸でものごとを判断する意思をもつ人がまわりに増えたからだろうと思う。

世の中には、思いの外たくさんの宇宙人がいる。

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ときどき言っている意味がわからないこともあるけれど、私はむしろそのくらい自分とかけ離れた思考をもっている人と話す時間が好きだ。

自分に近い価値観の人と「わかる、わかる!」と言い合いながら話すのも安心するけれど、宇宙人との遭遇は私の知的好奇心を刺激する。

さらに、「私はそうじゃないな」と発見することは、自分の思考や好き嫌いを理解する上で有用だ。

お互いがなぜそういう価値観になったのかを一緒に紐解いていくことは、世界をよりメタに理解することにもつながる。

そして何より、自分と相手の差分を知るのはとても愛しい時間だと思う。

なぜならば「違い」こそが自分と相手を分かつのであって、自分との違いがない、つまり境界を感じない相手は別の個体として「愛する」ことはできないからだ。

私たちは、永遠に分かり合えない他人同士であるということ。

それこそがもどかしいほどの愛情を生む源泉なのだと思う。

「ねぇ、どうしてそう思うの?」と聞く。違いを学ぶ。

そうやって私たちは、世界のすべてを愛するようになっていく。

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