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「かわいがられ力」の正体

社会にでてからこれまで、ずっとかわいがられる側、応援していただく側としていろんな人に甘えて生きてきましたが、最近は自分より若い人たちと仕事をすることも増えてきました。

特に大学生でインターンをしている人や、在学中から自分でプロジェクトを回している人を見ていると、遊び呆けていた自分の大学時代とは比べ物にならないくらいしっかりしていて、尊敬するばかりです。

年下でもすごい人はすごいし、尊敬の念をもっていますが、やはり年が離れれば離れるほど「かわいいな〜」と思う瞬間も増えるものです。

しかし、同年代でも特に「この子は推したい!」と思わせる人とそうでない人がいるなと最近気づきました。

そしてその違いは、「生意気さ」と「」にあるような気がしています。

若者は生意気を言うのが仕事

河井継之助の言葉に
世の中は万事、味のわかった大人と、食い気だけの若衆の戦いだ
というものがあります。

大人になると、良くも悪くも社会全体の仕組みがわかるようになり、無意識のうちに場を丸く納められるようになります。

誰でも徐々にその業界の商慣習やルールが体に染み込んで「そもそも」を考えられなくなりますし、反論する体力もなくなっていきます。

だからこそ、若者の純粋な「これはおかしい!」という主張は、たとえ生意気なものであっても好ましく思うものなのです。

大人にかわいがられるというと、お世辞を言ったり人をいい気分にさせるような太鼓持ちをイメージしがちですが、そんなことでかわいがるような大人に評価されても意味はありません。
年下に褒められて喜んでいるような大人はよそで褒められていない証拠だからです。

本当に価値のある仕事をしている大人は、むしろ自分の考えの範疇になかったような、生意気なことを言う若者にこそ面白さを感じます。

失礼な言葉づかいをしたり、頼まれたことをきちんと遂行できない人は、そもそも信頼されないので論外ですが、自分の主義主張と違ったことがあれば、それを丁寧に伝える方がかわいがられるのではないかと思います。

利己的な心は見抜かれる

また、生意気なことを言う際に気をつけたいのは、その主張が誰を見ているかということです。

年齢に関係なく、人が何かを応援したくなるときというのは、対象の物語と自分の物語が重なった時です。

だからこそ、志を語るときには主語を自分ではなく、自分が貢献したいと思っている対象におくべきなのです。

ただし、ここで気をつけたいのは、言葉だけをすり替えるのではなく、きちんと自分の中で腹落ちした志を言語化するということです。

どんなに美辞麗句で飾っても、自分が得したい、儲けたい、注目されたいという気持ちはほぼ確実に相手に見抜かれます。

安易に小手先のテクニックでどうにかしようとするのではなく、本当に心から「この課題を解決したい」と言えるところまで、自分のやりたいことやこれまでの歩みを深く掘り下げるプロセスを踏んだ人は、応援を得られるだけでなくあらゆる面で強いと思います。

年齢が若いということは、それだけで大きな下駄を履かせてもらっている状態です。

そんなボーナスステージをうまく活用して、たくさんの人にかわいがられ応援してもらうことで、自分のやりたいことを叶える人が1人でも増えるといいなと思います。

私もまだまだ道半ばで、これまで応援してくださった人たちのためにも成果をだしていかなければならないフェーズですが、同時に少しずつ自分がもらってきたものを渡していく意識も持ちたいなと考えているここ最近です。

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(Photo by tomoko morishige

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