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思い出を封じ込める季節

「思い出の」という枕詞に続くのは、やはり「夏」ではないだろうか。

言葉の候補はいくらでもあるのに。
思い出はどの季節にもあるはずなのに。

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夏は、どちらかというと嫌いな方だ。

できるかぎり日光を浴びたくないし、汗もかきたくない。

そんな怠惰な性格なのでひたすら家の中にいるのだけれど、それで夏の思い出などできるわけがない。

できるわけがないのだが、やはり「思い出」と言われると半袖の季節ばかりが思い浮かぶのは、夏という季節のなせる技ではないかと思う。

手帳をめくってみてもでかけている頻度は他の季節と何も違わないのだし、たまの外出とて夏らしいことなど何ひとつしていない年ばかりである。

それでも、なぜか「思い出」と言われると、夏のあの暴力的なまでに生々しい、それでいて夢かうつつかわからなくなる、まったりとした空気の匂いが呼び起こされる。

人の記憶に長く残りたかったら、一緒に夏を過ごすのがいいんじゃないか、と最近は真剣に思っている。

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夏のいいところは「だらだら」が画になるところで、むしろ物憂い空気感にクラスアップすることができる。

もしかすると、このだらだら感が人の記憶に残りやすい原因なのかもしれない。

現代を生きる私たちは、あまりに忙しすぎる。

でも夏のうだるような暑さは私たちの思考をとめるし、氷の「カラン」という音は会話の隙間を埋める。

時間が経って記憶が結晶化していく過程では、話したことはどんどん薄れていく代わりに、まるで写真を切り取ったようなワンシーンだけが残りつづけていく。

だからきっと、一生懸命あちこちに行こうとしなくても、一緒に過ごす時間を重ねることが大切なんじゃないかと思う。

スピードや効率が求められる時代だからこそ、「会いたい」だけで同じ時間を過ごしたいと思える人たちの顔をどれだけ思い浮かべられるかが、人生の豊かさをつくるのかもしれない。

旅行の予定なんてなくても、特別なイベントなんてなくても、この一瞬一瞬が思い出に変わっていく。

夏はそんな特別な季節なのだ、と夕立の街を眺めながらぼんやり考えていた。

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(Photo by tomoko morishige)

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