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これからの広告は、恐怖ではなく希望を与えるものであるべきで

テレビをもっていないもので、ここ最近のCMを発端にしたあれやこれやに乗り遅れてしまっていた私です。

そうやってネガティブな意味で話題になったものは極力見たくない派なのですが、もともと件のポスターを見ていて特になにも感じていなかったのに動画になった途端に…?という違和感もあって、2社ともCMを見てみました。

誤解を恐れずに、率直に意見させていただくと、


えっこれなんで炎上したんだろう…!!!!!!

というのが私の感想です。

本当にごめんなさい、私がこのふたつのCMの責任者だとして、「これはいかんだろ」という自信がない、GOだしちゃう…。

(強いて言えば「この雰囲気の動画でこのダンスは必要なのかね…?」ってなる気はするんですけど、そういう問題じゃないと思うのでこの話は一旦おいておきます)

たしかに気持ちのいいCMだとは思わなかったし多少苦情が入るのもやむなしな内容ではありますが、ここまでおおごとになるとは…!とびっくりしました。

おおごとになった後に見たから余計なのかもしれませんが。

ちなみに化粧品会社の方は「女性が多いはずなのに!」という批判は間違っていると思っていて、女性が多くて女性のことばっかり考えている会社だからこそあのリアルを描き出せたのだと思います。

女子会のシーンとかほんとにすごい。
本当にあれそのままの会話をしていますよ世の女子は。
少なくとも、私の周りでは。

件の2社のCMに関して不快に思う人が大多数だったのであれば放送差し止めも仕方ないことではありますが、ただそれぞれの会社を責めるだけでは今後どの会社もCMを作ることに躊躇してしまい、社会が回らなくなってしまいます。

あれもダメこれもダメ、不謹慎だ差別的だ!
と必要以上に声をあげることは、表現の自由を削ぐことでもあります。

美輪明宏のエッセイに「日本人が長い時間をかけて積み上げてきた美を、戦争は一瞬にして灰色にしてしまった。破壊し、統制することによって。」という主旨の言葉があります。

これと同じレベルで語るのは少し乱暴ですが、日常生活もある種の戦いです。

それに疲れてちょっとした不快感にも反応し、キツく統制しようとするのは、戦時中と同じように世界から色をなくしてしまうことのようにも思います。

だからこそ、ただ攻撃するのではなく「どうすればよかったのか」を考えたい。

個人的に今回感じたのは、恐怖を煽る広告はもう受け入れられない、ということ。

例えば化粧品のCMなら、「25歳はもう女子じゃない」という恐怖を与え、それを克服するのがこの化粧品だよ!というストーリーになっています。

そうではなくて、
25歳はもう女子じゃない→大人っぽいメイクで変身する→新しい私になって、燃えてきた!
という流れであれば受け入れられたんじゃないかと思うんです。

年をとることを絶望ではなく希望として描けば、もっと共感を得られたんじゃないかと。

電鉄の方のCMにしても、「車内で化粧をするなんてみっともない」というメッセージではなく、「昨日車内で化粧をしていたお姉さんが、今朝はバッチリメイク電車に乗ってきた。こっちの方が、素敵に見える」というストーリーだったらここまでの批判はなかったのではないでしょうか。

これまでは消費者に恐怖を与えて「そうならないためにこれを買いましょうね」という伝え方は当たり前のものでした。

でも個人がSNSを通していくらでも「素敵なもの」を見せられる時代に、わざわざ不快なものを見せてくるメディアが嫌がられるのは当然のことです。

それも(意図的ではないにせよ)、「あなたには価値がない」「あなたはみっともない」と言われたら、誰だってカチンとくるもの。

恐怖ではなく、希望を。

これは今後の広告業界で、必須の合言葉になるのかもしれません。

そして私達自身も、クリエイティブなものに対してただ批判するだけではなく、失敗を許容し次によいものをつくる土壌を整えることが必要です。

あれもダメ、これもダメの窮屈な世界か、失敗が容認されよりよいものをつくり出すチャンスをもらえる世界か。

どちらを選ぶかは、私達消費者ひとりひとりの態度にかかっているような気がします。

(Photo by tomoko morishige)

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