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'23年ウィキッド東京公演に思う

凄まじい輻輳の中をかいくぐってチケットを入手し、2023年劇団四季ウィキッド東京公演の6日目を観劇することができました。
2階席で残念だなとはじめは思っていたけど、舞台を俯瞰して見られてこれはこれで1階席で観るのとはまた違った良さがあるのに気付く。ドラゴン時計の躍動感もより近くで堪能できるし。

ウィキッドに対しては、学生のとき所属していた部活動で劇中のナンバーを演奏してから今日に至るまで、私はずっと恋と紛うような気持ちを抱えてきました。それは初の海外で単身アメリカを訪れ、ブロードウェイで本場のWICKEDを鑑賞してしまうくらい。
それ程までに思いが募った理由を、今回ちょこっとだけ書きたいと思います。

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私はウィキッドの登場人物がそれぞれ持っている人生哲学に惹かれます。

ペテン師でありながら文字通りワンダフルと謳われ、みんなのパパになることを夢見たオズの魔法使い。得意とする天気の魔法のように、立ち居振る舞いをコロコロと変えるマダム・モリブル。言葉が奪われる苦しみを身を以って伝えてくれたディラモンド教授。
憐れみでも良いからと、寄り添ってくれる人を求めていたネッサローズ。最後こそ魔女狩りを煽動したものの、ブリキ男になるまで自らの良心に従ったボック。脳みそを空っぽにしろと歌いつつ、物事を別の角度から見ることの大切さを説いたフィエロ。
己が信念を曲げず闇に生きると決意しようとも、恋人や親友への思いは忘れないエルファバ。そして、たとえ偶像だろうとみんなの人気者になりたいと願い、善い魔女として気高く使命を全うすることを選んだガリンダ改めグリンダ。

いずれの人物にも、光の当たる角度が変わるとまるで違って見えてくる表情があります。

これは、ウィキッドのもとになった『オズの魔女記』の作者グレゴリー・マグワイアが、当時アメリカとイラクの間で勃発していた湾岸戦争を見て、フセイン大統領を一方的に悪とみなすアメリカ側の報道に疑念を抱いたことに由来しているのだとか。

ウィキッドのテーマに関して言えば、善い魔女と悪い魔女の対峙、すなわち善悪の両義性だけに留まらないのものがあるのだと私は考えています。

出会う時や場所、様々な要因によって、人が演じる役割は変わっていきます。例えば、嫌な上司にも家族だけに見せる優しさがあったり、散々喧嘩した友達とも大人になってから笑い話にできたり。誰にだって心当たりのあることだと思います。

それはきっと誰かにとってのエルファバのように。時には年齢相応に感情を吐露する女性、時には動物たちに手を差し伸べる救世主、はたまた邪悪な魔女ウィキッド……。
その時その瞬間で感じる印象が大事なのも確かです。けれど私はウィキッドに出合ってから、今の自分から見える一面だけで人を判断しないようにと心掛けるようになりました。
誰しもが持っている人間性の奥行きを想像することのできる心の豊かさと、そのことを忘れない気持ちのゆとりを、絶やすことなく過ごしたいと思っています。

「ー何もかも違うあなたがいる。だから世界は美しい」

受け入れられなくたっていい。お互いの違いを知り、多面的に捉えようとすることの大切さ。
私を永遠に変えてくれたウィキッドと、これまでウィキッドに携わってきた全ての人に、心からの敬意を捧げたいです。

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