近かった聖域

わたしが中学生の頃、なんばは憧れの街だった。

大阪北部の出身のため、繁華街まで足を伸ばすと言えば梅田が定番だった。
梅田には買い物も食事も映画も、全部揃っている。まんだらけもアニメイトもある(そういうものを好むタイプの中学生だった)。
だから梅田の方が近いなら、なんばにはそうそう用はない。

しかしただひとつだけ、なんばにあって梅田にないものがあった。

吉本の劇場だ。

いや、厳密には当時は梅田にも劇場(うめだ花月)はあった。ただわたしが見たかったのは若手芸人の劇場、つまりbaseよしもとだ。

baseよしもとの公演は夕〜夜であることも多く、なんばなんて治安の不安そうな街に行かせてもらえるわけもなく、そもそも中学生ひとりで行く根性もなかった。

保護者同伴でなければ行けないから、劇場に行ける頻度は月1回以下だ。多いと思う方もいるだろうが(わたし自身も中学生にしてはえらい頑張ってたなと思う、小遣い月3000円とかなのに)、当時のわたしには不十分だったのだ。できればジャルジャルがオンストの公開収録をしている火曜日には毎週行きたいくらいだった。なんて強欲な中学生だ。

しかし、今思えば毎月なんばまで連れて行ってくれた親も凄い。母もお笑い好きだけど、さすがにソラシド単独までは興味なかったかもしれないのに。十数年越しに感謝する。ありがとう。(感謝は嘘ではないけど感じが良いかと思ってこの件りを書きました、すいません)


なんばに行くのは、月に1回の贅沢であり、ご褒美だった。ひとりでは手の届かない特別な、大人の場所だった。なんばに行くときしか乗らないから地下鉄にさえ心踊った。(※後に通勤で毎日乗ることになる)

ちなみに当時のbaseよしもとは行くとコインをひとつ貰えて、そのコインは劇場内のオロナミンC専用自販機で使えた。だから中学生のわたしはオロナミンCそのものにさえ心躍らせた。漫才劇場でもオロナミンCくれたらいいのになぁ、と今でも思っている。


なんばに行けば、ジャルジャルのネタを見られた。
鎌鼬がラジオの公開収録をしていた。
ソラシドやジャンクションがチケットの手売りをしていた。

テレビやインターネットでしか見たことない人たちが、居た。

学校と塾しか世界を持たない片田舎の中学生にとって、それはとんでもない刺激であり、快感だった。とてつもなく大きな世界と繋がる感じがした。


なんばは憧れの場所だった。
ひとりでは手が届かない場所だった。
大好きな人たちがいる場所だった。
少し大人の場所だった。
世界と繋がる場所だった。


と、ここまでなんばをとんでもない聖域のように書いたけれど、実際は治安が不安だから中学生ひとりでは行かせられないという理由で制限されていただけで、わたしの住んでいるところからメチャクチャに遠いわけではない。自宅から最寄駅が遠いことを加味しても、1時間ちょっとあれば着く。

しかも治安が治安がとは言ったが、実際は夜遅くてもずっと明るいし人もたくさんいるし、変なところを徘徊しまくったりしない限りは田舎の夜道よりむしろ安全なように思う。劇場から駅までも近いし。


わたしが大人になるにつれ、なんばは身近な、日常的な場所になった。

baseよしもとは5upよしもとを経て、よしもと漫才劇場になった。


わたしはいつしか男に教わって、味園ビルのバーで酒を飲むことを覚えた。

アメ村のBABY,THE STARS SHINE BRIGHTに並ぶ可愛すぎる服を纏う快感を覚えた。

オタロードのお店の奥を漁れば大好きな昔の特撮(主にゴーオンジャー)グッズが出てくることを覚えた。


大人になっても、新しい趣味を覚えても、どこまで行ってもなんばにはわたしの好きなものが詰まっている。


中学生の頃より身近になったなんばが、わたしは今でも大好きだ。


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