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5.自罰的なクドリャフカ 【#一週間クドリャフカ】

想いを捨てて、黙って消えたら…みんな、少しは私を許してくれるでしょうか…?
要らない子だった、と…言わないでいてくれるのではないでしょうか…。

リトルバスターズ! クドルートより

いよいよ本編の核心みたいな部分に触れていきます。書くのが極端に大変になってくる頃です。
ネタバレもガッツリと入ってくるので、今後プレーする予定がある方はお気をつけください。

ちなみにこれは元々6日目の内容にするつもりだったんですが、話の順番を入れ替えた方がしっくり来る気がしたので予定変更です。
5・6日目はシナリオの話をガッツリして、7日目はあらゆるリミッターを外してただの恋文でも書いてやろうかなと思っています。まだ予定ですけどね。

15年も前のゲームである以上、リトルバスターズ!の内容についての記憶は薄れかかっている方も多いでしょう。
それでも、本編の強烈なインパクトと、もう一つ、クドルートの終盤の急展開…超展開?については覚えている方も少なくない筈です。
それまでの雰囲気と落差がありすぎる悲劇的な展開もさることながら、そこでの会話のやり取りも、初めてこのルートに辿り着いた段階では理解し切れない内容が多く、ともすれば読者は取り残されかねません。
本編を経てこの世界のことを知り、エンディングも2つとも見て、ようやく完全な形で受け取る事ができる。そんなシナリオだと思います。
全てを知った後だと、初見の印象ほどに「訳が分からない」ことは断じてありません。思わせぶりな言動全てに意味を見出すことができます。


まず一つ、クドルートを語る上で大きな前提を打ち立てておきたいと思います。
(ここを否定されるとこれからの話が全部パーになってしまうんですが、そこは許してください)

国に帰ったクドは最終的に捕まって、暴徒と化した島の人々によって生贄にされ、洞窟に幽閉される。
これは、クドリャフカ自身が願っていた結末だ、ということです。
とはいえ、本編中の彼女が最初からそう思っていたわけではなく、この世界での日々が進んでいくにつれてその心理が露わになった、と考えます。

この世界における島の人々(というか、リトルバスターズの関係者以外)の行動原理を決める存在は、クドリャフカ本人でしか有り得ないこと(詳しくは本編を読んでください)。
捕らえられるまでの取り乱し具合に反し、生贄となった後は全く抗う意志を見せなくなってしまったこと。
そして、あろうことか、「島の生贄になった」ことで、自分がずっとなれなかった「世界を動かす歯車」になれた、と、どこか満足そうな様子すら見せてしまうこと。
これらを加味すると、どうしてもあの結末はクドリャフカ自身の意志が生み出したものだと考えざるを得ません。


クドリャフカという少女は、言うなれば後ろめたさの塊であり、後悔の塊です。
航空学校から逃げたこと。母親との関係から逃げたこと。そして、リトルバスターズとして過ごす日常、理樹の近くに居られる(あくまで「恋人で居られる」ではない事が重要です。これについては7日目に書きます)日常と、家族に会うため暴動が起きた祖国に帰ることを天秤にかけ、前者を取ってしまったこと。
3つ目こそが最大の問題で、実際に彼女が祖国に帰っていたらどうなっていたかは誰にもわかりませんが、ともかく「母親を見捨ててしまった」形になったことをずっと悔いていました。

だから、

「私の…いのちで、みんな助かるでしょうか」
「かみさまはたすけてくれるでしょうか」
「好きなひとのために、なにもかも見捨ててしまった私の罪滅ぼしになっているでしょうか」
「それとも、これは、じごうじとく…いんがおうほう、でしょうか」

リトルバスターズ! クドルートより

彼女の心には、ずっと罪の意識が張り付いて消えなかったのです。
この閉じた世界で、こんな歪な形で許しを請って、一体何が生まれるのか。何故彼女が犠牲になる必要があるのか。理樹も、それから読者もそう思わずにはいられない筈です。
でも、自分なりの方法で、独りよがりな贖罪を果たさない事には、彼女はもう耐えられなかったのです。
傍から見れば何の救いもない結末だとしても、残念ながら彼女は幸せでした。


勿論、理樹がそんなことを認める訳もなく。
本編においては、理樹がクドリャフカ自身の未練を浮き彫りにすることで、その心を揺さぶり。
そして、ほんの少し生まれた心の隙間を突いて、彼は奇跡を起こしました。

クドリャフカは一つの歯車としては満足に終われたけれど、一人の人間としてはやっぱり気持ちを捨てきれなかった。
抱えてきた無数の後悔を全て押し込めたつもりでいたけれど、この世界で得た幸せや温もりだけは忘れられなかった。
だから、最後に「帰りたい」という言葉を漏らしてしまった。
理樹の勝ちです。

ラストシーンは、金属部品をぶつけたから枷が砕けたという物理的な話ではなく、クドリャフカにとって最大の後悔を象徴するモノと向き合ったから自らを縛る鎖を砕くことが出来た、と捉えるべきかなと思っています。
この辺りの話は6日目に改めて触れたいです。


この記事のタイトル、最初は「自虐的」と書いていたんですが、なんというか言葉の持つイメージと噛み合ってないなと思って変えました。
自虐って言うとなんか卑屈さとかそういうものと結びついてしまいますからね。そこで、あまり見慣れない言葉ではありますが「自罰」としました。「」というのが重要です。

ただ卑屈なキャラってそこまで好きじゃないんですけど、彼女は卑屈というよりまさしく「自罰的」だったんですよね。
そして、こんな言い方をするとちょっとキャラを貶しているみたいになってしまうのですが、人の温もりを十分に知らないが故に、独りよがりな贖罪の道を選んでしまう所とか。
それでいて、どこかで自分を救ってほしい気持ちが残っていて、理樹に「ぷらしゃーいちー」と発してしまう所とか。
苦痛にも、後悔にも耐えられたけれど、一度得てしまった温もりを忘れることにだけは耐えられなくて、最後には絆されてしまう所とか。
どうしようもなく不安定で、そしてどうしようもなく人間的で、好きなんですよね。


クドリャフカを語る上で重要なワードの一つに「歯車」があります。
「歯車になりたい」なんて、思ったこともない人が大半でしょう。
現代日本だと「社会の歯車」なんて言い回しが流行っているぐらいですし、どちらかというとどうしてもネガティブな言葉に聞こえますよね。
でも、彼女にとって「あるべき位置に収まれなかった」事、「あるべき位置から逃げ続けた」事はとても大きな罪でした。
だから、「生贄になる」という罰を以て、彼女なりにあるべき位置に収まり、世界を回そうとしたのです。

歯車になりたがる彼女を否定する事なんてできません。ただ、自分の形を歪めてまで歯車になろうとする彼女を止め、人はそのまま存在するだけで世界のどこかを回しているんだよ、と、そう教えることで理樹はクドリャフカを救ったのです。
独りよがりな少女を、やはり独りよがりに救ってしまう。これこそが愛、なのかなあと。
そんなシナリオの構成もとても素敵だと思います。


次回は、改めて「後悔」というものに対する向き合い方について見ていきます。
いつもこの記事を書くためにシナリオを読み返しているんですが、次回という次回は読み返すのが辛いパートに踏み込んでしまいます。
クドリャフカに用意された、もう一つの道。奇跡も魔法もそこにはなく、ただ真っすぐに己の後悔と向き合わなければなりません。それでも、そこには確かな救いがあるのです。
正直このゲームで一番好きな部分と言っても過言ではないので、気合入れて書きたいと思います。

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