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シン・ウルトラマンでシンを考える

初めに断っておくが、私は初代ウルトラマン世代ではない。知識としてウルトラマンの技や怪獣、一通りのことは理解しているつもりであるものの、どちらかというと仮面ライダーやスーパー戦隊に心惹かれて育った人間である。

だが庵野秀明脚本のウルトラマンというものがあるのならば、観に行かないという選択肢はない───シン・ゴジラという傑作を描き、エヴァを終わらせた男がつぎに紡ぐのはどんな作品なのか───なかば強迫観念のようなものを感じながら、私はスクリーンに向かった。

ネタ・バレとかには一切考慮しない。私は観に行ったカン・ソウを書くので

超常生物としてのウルトラマン

本作品のウルトラマンは予告や特報でも話題になったように、流線型のボディーにぬるっとした質感、カラータイマーがないなど劇中でも言われる「外宇宙人」としての側面が強調されているように思う。

立ち姿から匂いだつ不可思議さ

戦闘シーンでもそれらの不気味さが遺憾なく発揮されていたところが、私個人としてはすごい好みであった。
両手を揃えて飛び立つお決まりの飛行姿勢そのままにグルグル大回転して敵怪獣を弾き飛ばしたり、飛び立った姿勢のまま降りてきて着陸したり、ファイティングポーズをとったとおもったらなんか後ろににゅるっと飛びすさり…劇中でも「スペシウムをなんかして重力をどうにかしてる」ということが言われていたが、およそ人間世界の物理法則があてはまらない不気味さが、ウルトラマンの超常さをうまく演出していたと考える。
もちろんヒロイックなアクション…ジャイアントスイングや正拳突き…数々の必殺技…もあるのだが、それらがバランスよくまとまっているので初めてこのデザインをみた時の印象との乖離のない塩梅だった。

シン、とはなんなのか

シン・ゴジラは急に現れた災害ゴジラに対して実際の日本の関係役所がお役所仕事のトロくさいゴチャゴチャをやったりアメリカから圧力あったりうっかり総理以下がうっかり死んだりしながらもなんとかかんとか気合と根性と科学の力で大勝利をするという作品だった。
対ゴジラ作戦を担うチームの奴らはどいつもこいつもアクがつよいが有能で、ある者は人脈を駆使し、またある者は足で稼ぎ、それぞれの様々な方向での頑張りが一体となっての勝利だった。

今回もシンとつくだけあり、ゴジラの時と同じように実際の日本にKAIJUが現れたら…という設定で話が進んでいくのだが、今回その中枢である禍特対──科特隊のオマージュということは明白だが──のメンバーは、いまいち本気度に欠けているのではないかという印象を受けた。
わけのわからない専門用語を早口で羅列しているのだが、全員ぱちぱちパソコンをいじって喋っているだけで、本当に何を言ってるかがわからない。
シンゴジラでわけのわからない単語が羅列されていても、そのあと実際の行動を見せてくれることで「成程ネ」と頭ではなく視覚で理解することができた。だが禍特対の奴らはどいつもこいつも…「核物質がすごい」「すごい危ない」「こいつは見たことがある」などと報告しあい、管理職の西島さんが「よし…攻撃してください」と言うだけである。もっと関係各所と実際調整する場面とか、資料を引きずり出してきて調べるとか、命がけでKAIJUの弱点を測定しに行くとかないのか。なんも手続きだけでたらいまわしにされ実際なにもしてくれない行政といっしょではないか?真っ白なオフィスではKAIJUは倒せない。ウルトラマンが出てきてやっつけてくれるとしてもそれまで頑張れるはずだ。「バディ」だの「仲間」だのいうのなら、もっとこいつ等を好きになれるようにしてほしい。

後半に世界中の科学者達と知恵を出し合い、絶望的状況を打開するという流れがあるが、ここがV・Rでの会談にされるのは正直コロナのせいでいろいろ撮影とかできなかったんだろうなと悲しくなった。劇中で長澤まさみが言っていたが本当にこっけいでかわいそうだった…FUCK KORONA

この言い方があってるかわからないが、ドラマパートはシン・ゴジラの劣化コピーのように感じ、あまりに時間が足りなかった。

リメイクのあり方

シン・ウルトラマンのシナリオは、原作のいくつかのエピソードを下敷きにしている。にせウルトラマン、巨大化する隊員、ゼットン……序盤から数々のオマージュやファンはニヤリとする演出──チョップを痛がるウルトラマン──の数々がほとんど休む間もなく繰り広げられる。
確かに往年のファンにはおもしろい。感動するだろう。

だがこれは映画としての面白さたりうるのか?
MCUやスターウォーズは過去作やコミックからいろいろ引っ張り、タランティーノはそのめちゃくちゃな映画オタクぶりを遺憾なく発揮し…どれにもファンがニヤリとする演出はあるものの、それ自体は上等なステーキにかかっているスパイスの一種でしかない。作品そのものの面白さがたりないのにスパイスをかけまくれば、それは塩辛く過剰だ。
私もいろいろな映画でオマージュを目にし、知っているとうれしい気持ちになった。だがそれはインスタントな面白さであって、心に残る作品のシーンにはならないというのが持論だ。
シン・ウルトラマンの制作陣がウルトラマンをリスペクトする姿勢は痛いほど伝わる。そして本気で巨人とKAIJUのバトルをやろうとしていることも…
だが好きを詰め込めるだけ詰め込んだ結果、すべてがごちゃごちゃとしたまとまりのない作品になってしまったことは否めない。
良い映画は引き算だ、とおもう。リメイクisDifficult…簡単ではないのだ。

最後に

いろいろ書いたが、斎藤工の宇宙人演技やそれと対比となる山本耕史、身を挺して地球人類を救うウルトラマンが異次元から必死に脱出するところ、「相手を知りたい」「理解したい」という思いに「好き」という名前をつけてくれたゾフィー…
良いところもたくさんある。

次回、庵野秀明がメガホンをとるシン・仮面ライダーにも私は行くだろう。特報の時点ですでにバキバキのアングルで期待値が限界まで高まっている。特撮映画の明日は…どっちだ。

ベータカプセルのプロップは鉄アレイくらい重いらしい。


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