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まるで駄目な男子高校生はちゃくらーになった

ちゃくらとの出会いは今でも鮮明に覚えている。

自分にはよくライブに一緒に行く高校からの女の子の友達がいる。

ある日の朝、いつも通り大学へ行くために電車に乗っていた。
いつものように携帯を開きぼーっと眺めていた。
乗り換えの駅につき一度降りて乗り換え先の電車を待っていた時、その子のインスタのストーリーが目に飛び込んできた。

それは新しくできたであろう彼氏との匂わせであった。

別にその子のことがめちゃくちゃ好きだったわけではない。
でも、心の奥が急に重くなって、靄がかかって、苦しくなった。
心のどこかで好きな気持ちがあったのかなって気づく。
突き放されて、急に1人になった気分になった。

しばらくすると電車が来たので流れで電車に乗った。
電車の中でストーリーをもう一度確認し、見間違いではないことを確認して、
また落ち込んだ。

終点の駅に到着して、違う路線に乗り換えた。
時間が経つにつれて、大学に一歩近づくたびに憂鬱になっていった。

乗り換え先の電車に乗り、座って、もう一度確認する。

見間違ってはいない。

心が追いつかなくて溢れそうだった。

思い出さないように必死に忘れて押し込んだ。

電車が大学の最寄りの駅に到着したので電車を降りた。
階段を降り、改札を出て大学へ向かった。
道中、ふと思い出してしまい、溢れる。
曲がり角を曲がれば駅へ戻れるT字路に着いた時、体が駅の方を向いていた。

結局その日は授業をサボった。

家に着くと真っ先にベットへ飛び込み、1人になった。

2時間くらいふて寝して、1時間くらい自問自答した。

なんで俺は(その子に)行かなかったんだろう。
ライバルがいることくらいわかっていただろ?
遅いんだよ。

向こうは新しい恋が始まって幸せ絶頂の中、自分はふて寝。
考えれば考えるほど自分が惨めになったのでやめた。

自分の気持ちの矛先をどこに向ければいいのかもわからず、とりあえず失恋ソング聞いたけど、どの曲もいまいち当てはまらなくてピンと来なかったのでやめた。

幸せだった人が急に不幸になって、未練たらしくたらたら彼女への思いを吐き出している失恋ソングに嫌気がさした。

何もかもやる気がなくなり、
「頭が痛いので休ませてください」と嘘の連絡し、バイトを初めてサボった。
少しの罪悪感と背徳感を持ちながらも、急に自由になった優越感に浸って、TikTokを開いた。

何スクロールかすると急に女の子たちの明るい声がAirPodsに響いた。

「19才!」

そう、ちゃくらの19才だった。

その日は20才を迎える誕生日の1ヶ月半ほど前で、ちょうど19才が終わる頃。
残りの10代をどうやって過ごそうか考えている時だった。
こんなにいいタイミングで曲に出会うことがあるのか!と驚いた。

普段邦ロックなんて聞かないし、ましてやバンドなんてほとんど聞いてこなかったのに、自分の中で何かが刺さった。

「時速80kmの愛嬌が今あなたを突き刺すんだ、あいつよりも辛い思いしてるけど。」

「幸せ者が作る失恋ソングは信用ならないし、私の言葉は私が作るから邪魔しないで。」

憂鬱でどうしようもなく、靄がかかった気持ちに少し日が差した。

心の中が熱くなって彼女らのことを調べてみると、なんと同い年。

10代残りわずかのタイミングで19才という曲に出会い、しかもそれを歌っている彼女らは自分と同い年。
運命以外のなにものでもないと確信した。
(後にわかったことだが、高校のクラスメイトが専門学校でちゃくらと同級生だったことが判明し、また運命を感じた。)

すぐにSNSを調べてフォローした。
すると、近々無料で見れるライブがあると知り、10代のうちに絶対に観に行こうと決めた。

数日後、下北沢へ向かい、白フェスに参加した。
人生初のライブハウス。
お客さん同士の距離、アーティストとの距離が近くてびっくりした。

ちゃくらの出番になり、ちゃくらが音合わせを始める。
19才のイントロが少しだけ流れた。
鳥肌がたった。

ライブは順調に進み、ラストの曲になった。

「みんなでイントロに合わせて自分の年齢を叫んで!」というワキタの指示。

イントロが始まり鳥肌が立つ中で、自分の中の渾身を叫んだ。

「19才!!!」

泣きそうだった。

それまで自分の中で背負っていた辛かったものを少しだけちゃくらが肩代わりしてくれたような気持ちになって軽くなった。

ライブが終わってファンサの列に並んだ。
初めて会うちゃくらに緊張しつつも、「10代のうちに19才が聞きたくて観に来たんだ」と思いを伝えることができた。

彼女らはとても明るくて、気さくに話してくれて、サインも書いてくれてとても幸せな気持ちになった。

自分と同い年の人たちはこんなに頑張っているんだ。と勇気付けられた。


そして今日2024年3月30日

ちゃくら全国侵略大作戦 vol.1に参加した。
このライブを持って「19才」を聴けるのが最後になった。

前述した通り、19才は自分を救ってくれた曲だし、ちゃくらと出会わせてくれた曲でもある。
だから19才をもうやらないと聞いた時はすっっっごく寂しかった。
「なんでやってくれないんだろう」と思いながらもワキタのnoteを開いた。

一通り読み終わった時に、ワキタの答えはワキタらしいなと思った。
この「19才」と言う曲がワキタとちゃくらにとってどれだけ大事なものかが改めてわかった気がするし、自分が好きなこの曲がこんなにも大事にされていて特別なものなんだなとわかって少し嬉しくなった。
だから、受け入れて最後の19才は色んなことを噛み締めながら楽しもうと決めて参加した。


ちゃくらのライブに参加するのは下北侵略以来数ヶ月ぶり。
久しぶりに生の演奏を聴いて、ちゃくらの成長具合に鳥肌がたった。
下北侵略もいいライブだったけど、今回はより洗練されていた気がした。
歌、演奏の技術、表現、安定感、楽しませ方、どれもめっちゃ良かった。

通常のセトリが一通り終わってちゃくらが袖裏にはけた後みんなで19才を歌った。
自分が一番大事にしている曲はみんなにとっても大事な曲で、最後を惜しむ気持ちは同じなんだと感じて嬉しくなった。

そしてアンコールになる
本当の本当に最後の19才。
前奏が始まって、「せーのっ」に合わせて「19才!!!」と渾身を叫んだ。
この「19才!」が言いたくて初めてちゃくらに会いに言ったことを思い出すと涙が出た。
自分の中で大事に大事に噛み締めながら最後の19才を聴いた。
もちろん最後の「1,2,3,4,!!!」も全力で。

ライブが全て終わり、19才を聴きながら余韻に浸って帰った。


サクラがMCで「私たちの音楽は直接あなたを助けることはできない」みたいなこと言ってたけど、自分はそうは思わなかった。
確かに直接手を差し伸べてもらうことはできない。
けど、確実にちゃくらの音楽は背中を押してくれているし、生活の一部になってるよ。
ちゃくらの音楽のおかげで出会えた人たちもたくさんいるだろうし、心が救われている人たちは本人たちが思っているよりもずっとたくさんいるはず。

お互い20才という人生で一番迷う時間を過ごしているけど、ちゃくらにはずっと猪突猛進で真っ直ぐな音楽を奏で続けてほしいなと思ってます。


なんか最後ファンレターみたいになっちゃったけど、最後の19才を聴いて思ったことを綴りました。


ちゃくらに負けず猪突猛進で突き進んでいくよ!!!










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