コロナで変わった世の中と私自身① はじめまして

はじめまして、星月ピーチです。
変わった?名前ですよね、、
色々考えて付けた名前の意味はまたゆっくり。

noteを開設したもののずっと書くことをためらってきたのは、今までSNSなんかで割と書いてきて、いったい私は何を言いたくて何を目指したいんだろう、なんてふと疑問を抱いたから。まぁ、目指すとかは大袈裟でも、私の想いや感覚を上手く言葉にできなかったということもあり。あとは何かを書いて反応をくれた友人たちの文章を読むと、あ、そうじゃないんだよなぁ、微妙なニュアンス伝わってないなぁ、この書き方や言葉選びじゃ伝わらないだろうなぁ、、失敗、、。みたいなことも多々あったりして。

微妙なニュアンスってのが凄く凄く大切な私で、そこが読み手の真ん中に響かないと私はなんだか落ち込んでしまって、、それは何よりも、書く、という作業がとても私にとっては本当に大切なことだから。更に書くことで私の想いを伝えたいという欲求があるから。

思い起こせば小さな頃から本が大好きで空想の世界にワクワクし、学生になると自ら遊びで小説もどきのようなものを書いていた。しかも、3つもペンネームがあり、書いたものはクラスメイトに読んで回してもらっていたりもした。
もちろん当時、一部で漫画を描くことが流行っていた時代でそれに絡め数人が小説もどきを書くのが遊びでもあった。
漫画や小説が学生文化の一部である時代、昭和の60年代あたりのこと。(歳がバレる、隠してないけど)
書くことで自分の思いを表現するなんて大それた?ことではないが、自分を表現する手段が書くことだったと思う。

私は小さな頃からとにかく綺麗なものが大好きで独自の審美眼みたいなものがあり(だから微妙なニュアンスにこだわりがあるんです!)そこをみんなに聞いてもらいたいという欲求が小説を書くということに繋がっていたのは間違いない
。例えば、ルノワールの絵画の淡い色のバランスやクラシックバレエの研ぎ澄まされた身体のライン、ラフマニノフの音符が風に踊るような音、そういう綺麗だと感じるもの全てが私には夢のようで、好奇心をかりたてられていた。

そんなどちらかというと内なる世界に楽しみや居心地の良さを感じ、性格は引っ込み思案でよく泣く子だったので、言葉を発して伝えるより、よく考えて文章にし手紙を書く方が意思を伝えやすかったのを覚えてる。
そういう意味で、ずっと書く作業を苦に思ったことはなく、作文や論文はもちろん、詩や俳句、言葉を紡ぐ作業は今でも大好き。
ライティングを勉強したり、専門的に書くことを仕事にしたりしたことはないけれど、私なりの言葉選びだったり、独自の表現は割と自信があって、だからこそ簡単に書くことが年々できなくなってきた。色々な経験や出来事を経てそれ(書く行為の難しさ)がこの数年大きく、ブログなどの発信も辞めた。

理由として大きくみると、そんな時代もあったなぁと回想する年齢になったし、というか私なりに味わい深い人生を送ってきたことで、今、私自身の全てが大きく変わっていっているようなところがある。
そして、その変化を外的要因で決定的にしたのはコロナ禍によるライフスタイルの変化。そこで感じた停滞、停止、中断、から奥底にあった違和感のようなものがうずうずと表にでてきたからだ。

②へ続く



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