好きな歌詞〜勝手に共鳴編〜


本文は恣意的な解釈が100%です。
考察なんて大層なものでもありません。
好きな歌詞を5つほど、思いついた順に何となく書きまぁす。

では。



すりガラスの窓を あけた時に
よみがえる埃の粒たちを 動かずに見ていたい

サンシャイン/スピッツ

「窓ガラス」でなく「すりガラス」。
見えそうで見えない自身の心の比喩。
それを開けた時に、舞っている埃たちが光に当たり、隠していたその姿を現す。
これは、もう何処かへ行ってしまった誰かの姿を、その人への想いを自分の胸の内に探す詩。

別離という言葉にはネガティブなイメージが先行しがちだけど、思い出してもやもやしたような、いじらしいような気持ちになるのが私は不思議と嫌いじゃない。どころか、心地良ささえ覚える。

友人や恋人だった人。もう会えない誰かは、心の中では老いも死にもしないで永遠にその姿のままでいる。

思い出すという行為は、何故こんなにも儚くて切なくて趣があるんだろう。



クソッ垂れの俺の為、未だに悪が必要か?
エネミー、なぁ、エネミー。憎しみになって、
担ってくれた日々を 生きてきたのさ。

ENEMY/FoZZtone

腹の立つことは無くならない。

傷付け傷付けられて、そうやって自分の中に善悪を判断する指針のようなものは出来上がっていく。
恐らくその針は一方向に留まらず、この先も揺れ続けることを死ぬまで繰り返す。

"ポリコレ"やら"人を傷つけない〇〇"やらを、まるでそれが最終目的のように謳う昨今の風潮は全く良い傾向と思えない。
無害であることだけを良しとした価値観の先には、何も生まれなくなる未来しかない。
皆が周りの目を気にして席を譲りあい、結果、誰ひとり座らなくなった綺麗な椅子を見て「素晴らしい世界だ」と私には言えない。
まだまだ見つめないといけない悪はそこかしこにあるはず。他者の中にも己の中にも。

【ありったけ愛し合おう。なぁ、エネミー。】
と言って、この曲は終わる。
そこまで達観した心はまだ持てないけれど、やっぱり敵は必要。

でも、ストレスなく生きていたいなぁと思ったりもする。



昨日より今日が 素晴らしい日なんて
わかってる そんなこと 当たり前のことさ

Reborn/syrup16g

文字通り受け取れば中々にポジティブ。
自虐的で厭世的な作品が多い印象のこのバンドには、珍しく前向きな曲であると言うファンの方も居る。
私はといえば、反語的な意味で捉えている。
「昨日より今日が良い日だったらいいよねぇ。本当にそうならね。でもそんな風に思って生きていくしかないよねぇ。」みたいな風に。

だって、大好きなあの人と初めてデートしたあの日よりよ?アホみたいな姿勢でソファにもたれながらネトフリ見て寝てたら終わってた今日が素晴らしい日なんてことある?
いやどっちも良い日ではあるけど。

完璧な本当の満足なんて無い。
"良い人生"とかいう不明瞭な価値基準は、とどのつまり、最期のその瞬間にだけジャッジ出来得る訳で。何ならどうでも良くて。
歪に積み重なり、崩れそうでいて絶妙なバランスで何とか立っている積み木の様なこれまでと今を、ただ肯定されてるような気がした。

崩れてしまっても、まぁ何となく昨日から今日へ、今日から明日へ生まれ変わったつもりで。ほどほどにね。



君や家族を 側にいる彼らを
あの夏を そういう街を
愛せることに今更気付いて

here/GRAPEVINE

先述の通り、私は"思い出す"という行為そのものに心地の良さを感じる。
その中には当然「後悔」も含まれる。
毎日の様にある、"あんなこと言わなければ良かった、しなければ良かった"の、マイナス思考の群れを一匹一匹数える事で心の安寧を保っている節がある。

取り返しがついたとて全てが無かったことにはならないのが世の常でも、過去を反芻する行為自体が、ささやかであれ成長に繋がっている気がするからというのもある。

因みにこの作品は私にとって人生のテーマのような曲。
時間のある方は是非、歌詞を読みながら聴いて欲しいなぁ。

悔恨の過去と、不確定でも進むしかない未来が歌われる。
そのタイトルが『here』。
粋。カッコ良すぎ。



ギャグの隙間に 本当の事を
祈るみたいに隠して

ギャグ/星野源

星野源は言葉を大切にしてる人だなぁとつくづく思う。いや、皆そうなんでしょうけど。

綴った言葉を誰かに投げかけるその瞬間、作者の手を離れこちらに委ねられるという事を良く分かっているというか、その為の余白をきちんと残してくれているなぁと思う。
言い切らないけど無責任でない、慎重さと優しさがある。

この曲は漫画を通して、そこにはうつらない作る者の苦労や葛藤などの多面性、だからこそ生まれる作品=命の躍動を歌っているが、やはりどんなものにでも当て嵌められる余地がある。
私は「他者への理解」について歌っているのだと解釈した。

見えない四角の間(漫画のコマとコマの間)を覗くように、他者を知るという事はとても難しい。
【電気じゃ 闇はうつせないよ】と他の曲でも歌っているように、向き合うということの難しさを、そっと手渡すように優しく投げかけてくれる。

「理解しろ」とは決して言わない。
見せたくない人だって当たり前に居るし、そう感じることもまた理解のひとつ。

そうあろうとする"姿勢"そのものの大切さをただ提示している。



以上ですぅ。
こんな人間が「共鳴編」とか言い出したら、そりゃあ湿度高めのセレクトになってしまうのは分かってたし実際そうなってしまったので、次はカラッとしたテーマで。
気が向いたら。

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