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過渡期にいた学生ディベーターとして

今年もディベート甲子園が閉幕しました。
2月末に論題が発表されてから半年、各学校が議論を構築し、磨き、試合を交わし、その成果を発揮する。
シーズンの過ごし方だけを見れば例年通りですが、ここ3,4年のディベート甲子園は、明らかにその様相を変えていました。
原因は、ご存知の通り、「コロナ禍」。
過渡期を経験した当事者として、その様子や感想を残すことには価値があるかもしれないと思い、筆を執ることにしました。
拙い文章ですが、ご覧頂けると嬉しいです。


◆自己紹介

とは言ったものの、「あなた、誰?」という方も多いと思うので、軽く自己紹介を。

所属:某東海地区の学校のディベート部
担当:主に第2反駁
(ディベート甲子園においては、3年間、両2反を務めました)
参加:第26~28回ディベート甲子園、2021,2022年千種杯 等

必要な情報はこれくらいでしょうか。
上述の通り、自分は、第26(2021年)~28回(2023年)、つまり、コロナ禍~回復までのディベート甲子園を経験した、ある意味、貴重な世代の一人です。
コロナ前だと、観客入り現地開催が常で、全国大会は、東洋大学や立教大学で催されていました。
では、上の3年間のディベート甲子園がいかに変わっていったのかを述べていきます。(以下、ディベ甲。)

◆第26回ディベート甲子園

開催方法:オンライン(Zoom)
自分にとって初めての参加となったディベ甲です。
2020年にコロナが猛威を振るい、中止となった背景もある中で、ディベ甲開催に関して注目が集まっていましたが、結果はオンライン開催となりました(これは前年に、大会をオンラインで試験的に開催してくださった方がいたという経緯もあってのことだと思われます)。ディベ甲が無事に開催されることに、皆が安堵していましたね。

試合では、マイクトラブルや、通信問題がありました。各学校が用意する機器のスペックにより、スピーチの伝わりやすさが異なり、それが勝敗にも影響するというケースが散見されました。
従来より、試合のやりづらさが生まれた一方で、オンラインでの試合に対する抵抗感が薄まり、結果、遠隔地区の学校と簡単に試合ができるようになったのも事実です(確か、東海地区や関東地区の春大会に他地区の学校が参戦していた記憶があります)。

先述の通り、自分にとっては、始めて積極的に取り組んだディベ甲がこの年ということもあり、段々、「オンラインでの試合」が“当たり前”となっていきます。

目の前の “画面上に存在する” 対戦相手と、 “画面上に存在する” ジャッジの頷き具合や顔色を伺いながらスピーチをする。資料請求もZoomのチャット欄で行う等、現在とはほど遠い形態でした。(確か準備時間内にチャット欄に資料を提示できなかったら、マナー点減点みたいなこともあった気が…)

自分にとってはこれが、当たり前。
しかし、過去のディベ甲YouTube動画や、顧問・先輩・OBの経験談は、それとかけ離れており、むしろそっちの方が楽しそうに感じる。
オンラインに対する当たり前の感覚が植え付けられていくと同時に、オフライン・現地開催に対する憧憬の念が強くなっていったのを覚えています。

ディベ甲本番において、弊校は決勝の舞台に進出できました。
決勝はYouTube配信されるとの事でしたが、試合形態は変わらない。目の前の “画面上に存在する” ジャッジを説得する。配信で多くのディベーターが見ていたとは思いますが、それは形としては見えず、見ようとも表示されるのは、「〇人が視聴中」の文字のみ。
決勝の特別性を味わうには(それを醸し出すには)、あまりにもハードルが高い環境でした。(下の画像を参照)

全国教室ディベート連盟(NADE)【公式】より
https://twitter.com/dkoshien/status/1424604602301702147?s=20

結果、弊校は優勝を収めることに成功し、その時は心底喜びましたが、やはりオフライン・現地開催への憧れは残ったままです(むしろ強くなったと言っても過言ではない)。

「大勢の聴衆がいる決勝の舞台でスピーチがしたい」
この感情を抱えたまま、来年のディベ甲を迎えることになります。

◆第27回ディベート甲子園

開催方法:無観客現地開催
いよいよディベ甲の現地開催が復活。
たしか、4月頃に連盟から現地開催が連絡され、先輩が「頼むから、このまま無事に開催されてくれ~」と言ってましたね笑
自分にとっては未知の世界である、現地開催。
無観客ではあるものの、その刺激を味わえることに対する興味や期待が大きく、非常に喜んだのを覚えています。

特に、東海地区は復活が早く、5,6月頃には既に対面での練習会が行われていました。
目の前の “画面上に存在する” 対戦相手ではなく、 目の前に “実際に存在する” 対戦相手と議論を交わし、
目の前の “画面上に存在する” ジャッジではなく、 目の前に “実際に存在する” ジャッジを説得する。
他校と向き合って交流できたこと、何一つ媒介せずジャッジのリアクションが見られること。
自分の中の当たり前が崩れ、「当たり前」を体感できたのが、嬉しかったです。
(直前練習会で、「ディベーターっていたんですね」と話してた子がいました。対面試合の価値を、如実に表した言葉だと思います。)

喜びだけではなく、発見もありました。
例えば、一概にジャッジのリアクションとはいっても、これまでは頷きや顔色しか伺えませんでしたが、対面だとフローの動きまで追うことができます。
どこに書くか迷ってるジャッジが見えたら、それはサインポスティングが荒いことの証拠となり、「発生過程の〇点目に書いて下さい。」と付け加えることで対処ができる。メリットフローからデメリットフローに移る時に、ジャッジが書き終えれてなかったら、スピーチに間を置くことでジャッジのフロースピードを操作できる。
実際、自分もフローを移る時は、必ずしもフローに落とす必要は無いが、理解が促進される(であろう)言葉を話すことで、間を作るようにしていました。(※これが手段として正しいかは分からないので注意)
例)「(~~だから、メリットは発生しない、もしくはかなり微々たるもの。)石炭火力廃止にそれほどの意義がない中で、石炭全廃という過激なアクションを取ることがいかに危険なのか。否定側フロー。」

先のことを試合中に遂行しがたい時もありますが、工夫の幅は増すため、対面の方が学べるものは大きいと感じます。

そして迎えた、8月の本番。
この年のディベ甲は、自分の初日・2日目のスピーチコンディションが呪われたかのように悪く、最終日になってようやく復活したり、トーナメントで同地区の学校2校としのぎを削ったり、準決勝が自分のディベ甲キャリアの中で最も記憶に残る戦いになったり…などなど、
只でさえ語りがいのある大会なのですが、やはり心にあったのは決勝という舞台。
この年も、先輩方に恵まれ、決勝の舞台に立つことを許されました。

全国教室ディベート連盟(NADE)【公式】より
https://twitter.com/dkoshien/status/1556492434888019968?s=20
全国教室ディベート連盟(NADE)【公式】より
https://twitter.com/dkoshien/status/1556515904329945089?s=20

参加選手・引率以外見学できないが為に、会場に空席があったり、皆マスクをしたりして不完全な環境ではありました。加えて、弊校は敗北し、悔しさの積もる結果となりましたが、それでも「大勢の前でスピーチをする」という目標には近づけました。

先輩方から様々なことを学び、自分の目標にも手が届きそうになった、最も濃密な大会でしたね。
ここで、自分は、来年もまた決勝の舞台に立つことを心に誓います。
リベンジ達成ということもありますが、来年は遂に目標が叶いそうと感じたからです。

◆第28回ディベート甲子園

開催方法:有観客現地開催
連盟から、有観客現地開催の連絡が来てから、自分の中で決勝進出に対する執着性が高まったのを覚えています。
事実上の完全復活。コロナ禍前の状況に戻る。

2022年の段階で、東海地区の大会は、コロナ禍前の水準に極めて近いものだったため、その変化から学んだものは、今年はありませんでした。(今年は、最高学年ということで仲間との関係性やチームのまとめ方等、また別の視野が広がりましたが、それも書くと日が暮れるので割愛。)

全国教室ディベート連盟(NADE)【公式】より
https://twitter.com/dkoshien/status/1687680851197501441?s=20

迎えた、ディベ甲当日。
論題の性質上、ACによっては1NRの火力が急激に上がることがあるなど、白熱する試合が多かった印象です。
弊校の試合で、特に印象に残っているのは準決勝。
会場に溢れんばかりの観客が押し寄せ、それだけでも準決勝に相応しい様相を呈しており、対戦相手も、何度も練習試合で対峙した学校なので、議論の応酬も激しく、雰囲気も中身もアツい試合になったと思っています。

そして、弊校は勝利を収め、決勝へ。
満員の聴衆。厳格な雰囲気。マスクもなく、聴衆・ジャッジの表情も目に入る。これぞ決勝という舞台が整っていたと思います。
「大勢の聴衆がいる決勝の舞台でスピーチがしたい」
優秀なチームメイトの支えがあって、自分は目標を叶えることができました。

とはいえ、決勝で弊校が出した議論は、対戦校のそれと上手く噛み合っておらず、白熱した試合をお届けできなかったり、スピーチコンディションが悪かったりしたため、申し訳ない気持ちが残っているのも事実です。
単純な目標達成劇やドラマ性では終わらない辺り、ディベートは奥深いですし、課題が残るのも、 “教室” ディベートとして望ましいのかなと思います。

◆まとめ

ここまでで、情報が混在して、主旨が不透明になったかもしれないため、
最後に自分が伝えたいことをまとめます。2点あります。

1点目。
当たり前の有り難み
コロナに襲われたディベ甲は、オンライン、無観客等、従来とは異なる開催を余儀なくされ、自分もその中で過ごしました。
選手のうちは、ディベ甲開催は当たり前で、その有り難みに深く注視することはありませんでしたが、今振り返ると、開催に向けて、多くの方々の尽力があり、そして、それに応えようとする各学校の努力があって初めて成立するものだと痛感しています。
「大勢の聴衆がいる決勝の舞台でスピーチがしたい」という目標が生まれ、その追究のために充実したシーズンが送れたのは、コロナ禍においても、大会継続を支えてくれた大会関係者の方々や、各学校の皆さんがいたからです。
その感謝を共有できればなと思っています。

2点目。
学びの姿勢
第27回で自分が体感したように、やはり対面の方が学べるものは多いと思います。これは過渡期を経験した自分だからこそ伝えられるものであり、これからディベ甲で活躍される方には、その差を体感しようと思っても限界があります。
自分達の意見を伝えるためにはどうするか、目の前にいる人を説得するためにはどうするか。
対面という、ジャッジや聴衆の反応を直接感じられる場だからこそ、得られるものがあります。これからディベ甲で活躍される人達は、この恵まれた環境を存分に生かして自分のものにできるよう、ぜひ学びの姿勢を大切にして欲しいです。
「今日の試合は予め立論を写しといて、6分間ジャッジの反応やフローの取り方を見よう。」「この前改善点を指摘してくれたジャッジがいるから、今日はそれを意識して、後からまたフィードバックを貰おう。」
些細な意識からでも、得られるものはあります。この姿勢をもってディベートに臨むと、もっとディベートが面白くなると思います。

◆終わりに

この投稿をしようと思ったのは、今大会の準決勝で主審の方に、
「君達はオンラインを経験した世代」
だと言われ、その貴重さに気づいたからです。
自分にとっての当たり前が、これからのディベーターには違うかもしれないと感じ、記しておくことの価値を見出しました。
大切な着想に繋がる講評をしていただき、ありがとうございました。
(偶然にも、準決勝の主審の方は、第26回の決勝でも主審をして頂きました。)

また、決勝をテーマに据えた投稿をしたのは、この過渡期を語る上で、象徴的な存在であろうとの思いからです。
当然ながら、自分が決勝に3度立てたのは、素晴らしい顧問・先輩・同輩・後輩に恵まれたからです。
ありがとうございました。

ここで、自分が経験した、高校の部・決勝戦 主審の方々の言葉を引用させて下さい。

ディベートって、定着しつつある文化であると私自身思っています。

第27回ディベート甲子園高校の部決勝・講評より

ディベートって、inclusion。社会の分断を防ぐためのツールだと思っております。

第28回ディベート甲子園高校の部決勝・講評より

今後は、運営やスタッフの身になって、ディベートに携われたらなと、現段階では考えています。
これは、プレイヤーではなく、その人達の活動を支える身になって、視野を広げたいという思いもありますし、自分の学生生活を彩ってくれたディベート甲子園を支えたいという思いもあってのことです。
ディベートという文化を定着させるために、社会の分断を防ぐためのツールを維持するために、協力できたらと思います。
(選手として活動を続けるかは要検討。一緒にチームを組んでみたい人も居ますが、如何せん制約や負担が大きいのも事実なので、現段階では消極的です…)


苦しい情勢ではありましたが、この過渡期となる3年間を経験できて良かったと、今となっては感じています。
先述の通り、大会を支えて下さった関係者の方々、3年間交流を続けてくれた各学校の皆さんには感謝の気持ちで一杯です。
ありがとうございました。

ディベート甲子園に出会えて良かったです。
あまりにも有意義な、刺激的な学生生活となりました。

それでは、そろそろ勉強しないと成績の方が危うくなるので、戻ります。
御覧頂き、ありがとうございました。
(投稿の文字数は約5500字。スピーチだと10分以上かかるな…)


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