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今、競馬専門紙の価値を問う ③

私が勝手に思う具体的カイゼン策とは?


 そうそう、例えばGⅠが行われる日の競馬ブック当日版には、いつの日からか、主要なステップレース後の関係者のコメントが、そっくりそのまま掲載されるようになっているんですよね。
 これは間違いなく前向きなカイゼンですし、ドラスティックに紙面を再編するのが難しいのであれば、こうやって、一歩一歩地道なカスタマイズを繰り返していくという方法もあっていいでしょう。

 ただし、です。これは、私が部外者だから軽々しく言えるのですけど、競馬専門紙が今後も長らく生き残っていくためには、いっそのこと、当日版の紙面を「本編」と「付録」の2つに分けてしまえばいいんじゃないか、と思うのですよ。
 それくらい、ドラスティックなことをやる覚悟がないと、競馬専門紙業界のジリ貧傾向に、この先もずっと歯止めがかからないんじゃないだろうか、とね。

 具体的な方法としては、本編に載せる主観的な要素は、せいぜい「印」くらいにとどめることにして、あとはひたすら客観的な情報だけを掲載。そうすれば、馬柱や調教欄のほか厩舎情報だって、もっともっと充実させることができるはずです。
 一方で付録には、各馬の評価や記者の予想をより詳細に掲載することで、「やっぱり、プロの予想を知りたい!」という競馬ファンのニーズにしっかりと応えていく。そうそう、こんなふうに紙面を大胆に再編したらどうなのかな、って。

 
 これ以外にも、本編と付録を別売りにするという方法だとか、本編にシークレットページ閲覧用のQRコードを貼っておいて、そこにアクセスした人だけがトラックマンや記者の予想を見られるようにする、という方法もあるでしょう。
 いずれにしても、「主観」と「客観」を明確に切り分け、その違いが読者にはっきりと伝わるようにする意識を強めていかないと、競馬専門紙業界はこの先どんどんと先細って行ってしまう。今、私の中では、こうした懸念しかありません。
 

競馬専門紙のストロングポイントを生かす


 冒頭で私は、世の中に発信される競馬関連情報の「質」に着目してみれば、玉石混交の「カオス」な状況にある。そんなふうに表現しました。 

 例えばですが、私がnoteで運営しているこの「本気の競馬力向上研究所」や、CAMPIFEコミュニティで運営している競馬サロン「競馬なんでも相談室 ~あなたに必要な処方箋、ここにあります~」なんかは、一歩引いて言えば、「玉」なのか「石」なのか、一般の競馬ファンの方には、なかなか評価しづらい面もあると思うんですよね。
 私自身は、もちろん「玉」になれるように日々研鑽を重ねてはいますけど、これほどまでにインチキ臭い情報がネット上にあふれている世の中ですから、詐欺まがいのサイトとの違いを本当の意味で広く理解してもらうには、まだまだ努力が全然足りない。そう自覚しています。

 
 その点、競馬専門紙には、長い時間をかけて培ってきた信頼とブランド力がある。つまり、競馬ファンの間ですでに、「玉」であることが広く認知されているわけです。
 加えて、関係者しか立ち入ることが許されない空間に、足を踏み入れられるという「既得権益」もある。
 そう、これほどまでに強力な切り札を持っているのに、なんでこうしたストロングポイントをもっと前面に押し出して勝負しないのだろうかって、いつも不思議に思うんですよね。

 だって今は、インターネットを経由すれば、予想なんて誰だって自由に発信できる時代なんですよ。
 しかも、です。これは失礼を承知ではっきり書きますが、今や、トラックマンや記者の予想の精度が、一般の競馬ファンのそれを確実に上回っていると言えるような状況ではない。
 もちろん、全員が全員とは言いませんが、明らかにプロとは呼べないレベルの予想を、どや顔で発信し続けている自称"ベテラン専門家"だって、未だにたくさん現存するわけです。
 
 このような人たちの予想を垂れ流してお金を取れる時代は、とうの昔に終わりを迎えている。
 もうそろそろ、そのことにしっかり向き合わないと、本当に手遅れになってしまうんじゃないか。そんなふうに、むしろこちらが心配してしまうほどですから……。

 
 だとしたら、プライドをかなぐり捨ててでも、ライバルが圧倒的に少ない「取材」という領域にもっと注力したほうが、業界としても会社としても、結果的に「実」を多く取れる。私がもし関係者だったら、確実にそう考えます。
 理想を言えば、馬券を一切買わないような競馬ファンが、週末のレースを前にして"欲しい"と思えるような紙面ができたら最高。さすがに当日版でそれをやるのは難しいのかもしれませんが、ひとつ、今までになかったそんな新しい発想があってもいいように思ったりもしますね。

競馬専門紙はそれ自体が"文化"

 
 なんでも屋さんのスポーツ紙や夕刊紙とは違って、競馬専門紙は、それ自体がひとつの"文化"である。私はそう考えています。
 だからこそ、「○○記者、3連単××円を本線で的中!」とかじゃなく、関係者とファンをつなぐという本来の役割にもっと重心を移してほしい。心からそう思うのですよね。

 そうそう、「○○記者、3連単××円を本線で的中!」みたいな見出しをドドーンと出して、欲にまみれた競馬ファンの関心を惹こうとするゲスなやり方は、ゴシップ系の話題が得意な別の媒体に任せておけばいいんです。
 どこをどう考えたって、ひとつの文化形成の一翼を担う企業がやることじゃない。私は、常にそう思っています。

 
 その一方で、私たち競馬ファンの側も、今の時代だからこそ、競馬メディアの価値とは何たるかを改めて考え直してみるべき。そうも思います。
 
 例えばですが、スポーツ紙や夕刊紙だけが競馬関連のメディアとして生き残り、競馬専門紙を発行する会社が、近い将来、全社廃業してしまったとしましょう。考えたくはないシナリオですが、仮にそうなってしまった時に私たち競馬ファンは、はたして価値ある正確な情報を、今までどおり手に入れることができるのか、ってことなんです。

 身近にあるときにはわからない。失ったとき初めてその大切さに気付く。しかもそれがその人にとって一番大切なものだったりするから始末に負えないんですよ。

出典:ドラマ「やまとなでしこ」 脚本 中園ミホ

 かつて、人気ドラマでこんなセリフがありましたけど、私は今、本当にそうなりゃしないかと危惧しているのですよ。
 だからそうなる前に、私たち競馬ファンも、自らの消費行動を改めて見直す必要があるんじゃないか、とね。


 そんなこんな、今回は「今、競馬専門紙の価値を問う」をテーマとして、あれこれと好き勝手なことを書かせていただきました。

 あえて今、私がこんな投稿をした理由は、競馬専門紙の現状をディスりたいわけでもなければ、読者の皆さんを特定の方向へと恣意的に誘導したいわけでもありません。ただただ、ひとつの「問題提起」をしたかったからなんです。

 これは、私のバフっとした感覚でしかないんですけど、今のままじゃダメだなって、競馬専門紙の関係者も、そして私たち競馬ファンも、その双方がなんとなく感じているような気がするのですよね。
 ならば、どんなに些細なことでもいいから、今、できることからコツコツとやってみよう。ふと、そう思ったということなんです。

 なので、期せずしてこの投稿を観てしまった皆さんが、どんな感想でもいいので、何かを感じてもらえたらそれで十分。そう思っています。

 以上、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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