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Young, Alive, in Love

青春時代に好きだったものはその後の人生にどれくらいの影響を与えているのだろうか。

先日小沢健二氏がツイッターを開始したと言う知らせを受け、すっかり嬉しくなって最近フリッパーズギターの曲ばかり聴いている私です。

今聴いても、1989年にリリースされた彼らの曲は、2019年にリリースされたどの曲よりも新鮮に感じられてしまう。


そんなこともあって、10代の頃に出会ったもの、熱狂したものがその後の人生にどれだけ影響を与えているかの考察を、2回に渡って。


私がフリッパーズギターの存在を知ったのは、小学校高学年か中学生の時だった。

そのころ私に音楽の流行を持ってくるのは姉の影響が大きくて、彼らの存在も姉から教えてもらったと記憶している。

もしかしたら、その時はもう解散してしまった後だったのかもしれない。ネットも何もなかったその当時の私がどうやって情報を集めていたのかもよくわからない。多分出演するテレビ番組をビデオに録画するか、音楽雑誌を買ってくるかという方法だったのだろう。


彼らはめちゃくちゃ尖っていて生意気で、

そしておまけにめちゃくちゃカッコよかった。


テレビ番組や雑誌のインタビューでは恐れを知らない発言を繰り返し、その屈折ぶりというか悪ガキっぷりというか、それはもう悪評高かった。彼らはまだすごく若かったし、それは「自分たちは絶対に良い音楽を作っている」というプライドの表れだったのだと思う。

そしてオザケンは東大卒であり、父親は文学者で母親は心理学者。叔父はあの指揮者の小澤征爾である。

とにかく歌詞のセンスが天才的で、それはとても文学的で難解で洗練されていて、それまでの邦楽ポップソングにありがちな芋っぽい内容なんかじゃなかった。

日本人のシンガーであんなに「ぽく」英語の詞が書け、歌える人なんて、他にはいないんじゃないかと、当時中学生かそれくらいだった私でさえ思っていた。

昔、英語はビートルズで覚えたと言う人の話をよく聞いたけど、私はフリッパーズギターで英語を覚えた。


思いっきりスノッブで
オシャレで
インテリで
言葉に対する美的感覚があって。

そんな存在が私にはあまりにも驚異的で、奇跡で、美しかった。
魔法的に。


小沢健二がソロ活動を始めた時にはフリッパーズギター時代と作風がガラッと変わってしまって「渋谷系の王子様」なんて呼ばれていたけれども、キラキラした歌詞の裏側に暗い闇があるのを知っていたから、ただの恋愛ソングを歌っている人だとは思わなかった。強い光の裏には必ず闇がある。

だってフリッパーズギターの時の歌詞はどこか刹那的で、いつか終わってしまうもの、失うであろうものそんな概念が背景にあるような気がしていたから。

『それはちょっと』みたいな可愛い曲も、真反対の世界を知っているからこそ醸し出すものがあるような気がして、心の敏感な、繊細なところを感じ取って言葉にできる人がそんな表面的な歌を作るわけはないと思っていた。

(実際、ずっと後になって『ラブリー』は明日なんてもう来ないかもしれないというくらいの暗闇の中で書き上げた曲だって言っていた)

 

そして、そんなところが大好きだった。


小沢健二が好きだからその後もそういう人が好きになったのか、元々そういう人が好きで、それにたまたま小沢健二が当てはまっただけなのかはよくわからない。

例えば昔松田聖子の大ファンだった人は、その後も「聖子ちゃん的」な女の子が好きだったのだろうか。

この時期に好きだった人はその後の人生の趣味嗜好の土台になるような気もするのだけど、どうなのだろう。


90年代の終わり頃に表舞台から姿を消してからというものの、彼との接点はそんなに無くなってしまった。その後ニューヨークに渡り、日本にいなくなってしまったし、ポツポツとしか作品を発表しなくなってしまったから。

なのになぜ、今でもこんなに心惹かれるのだろう。


それはやはり音楽の力が大きいと思う。彼が活躍した当時、私は多感な思春期ど真ん中であった。

自分というものを確立しだす多感な時期に陶酔したものがもたらす影響は計り知れないものらしい。特に音楽ってイントロを聞くだけで「あの頃」を一瞬で蘇えらせる、不思議な魔法のようなものだ。


そして、もうひとつは「オザケンらしさ」が今も健在であること。

雑誌やテレビで情報収拾するしかなかった当時はミュージシャンの心の中なんてなかなか覗けなかったわけで、それが今、本人の口から直接聞けるなんて…!と思うだけで嬉しくなってしまう。



GOAT とはつまりGreatest of All Timeの意味で、「史上最高の」ということ。つまりこれは、「イケてる人の為の日本音楽界の最高峰」と自分で言っているというわけ。

めちゃくちゃ生意気で思い上がっててかっこよくありませんか!!!


こういうところが本当にラブリーだわーと往年のファンは思うわけで、

「ああ、これこれ!ナルシストなのに憎めない、類まれな言語センス!これがオザケンよね!」


そして先日、銀杏BOYZの峯田和伸君と対談している動画を偶然見つけた。峯田君のことも大好きなのだけど、この2人には接点が無いと思っていたから嬉しくて、すぐに見た。

なんて言ったらいいのか。

感動したと言うよりも凄く心を打たれて、涙した。

あぁ、そうなんだな。この人はこうやって、明るすぎる世界にも闇を見て、闇を必要とし、自分なりの人生を歩んできたんだな、とちょっとだけおじさんになったオザケンを見ながら思った。

Life is coming back ! と歌っていたあの時も、きっと。


あの時の彼は今もいると思えること。そしてあの時を懐かしみ、思いを馳せること。

それが青春という特別な時期につながっているからこそ、それはずっと私の中で特別なものであり続けるのだ。


彼らがフリッパーズギターじゃなくなった理由は私にはわからない。

けれども

青春が終わりつつあることに気づき始めて
分かり合えやしないことを分かりあおうとし
すれ違うことがセオリーだったのが

ふてくされてばかりの10代をすぎ分別もついて歳をとり
喜びを分かち合う術を知ったから


だと想像している。


青春は、いちどだけ





Young, Alive, in Love.  若者は恋に生きる________

次は、私が青春の終わりころに恋していたひとの話をしたいと思います。

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