見出し画像

女の子たち、好きな人の前では、思いっきり笑っていなさい。

私の本職はWebライターだ。日々、様々な文章を執筆している。

今書いているとても好きなメディアさんの文章で、「好きな人に可愛いと思ってもらうための特徴」いう記事があった。自分なりに、どんな女の子が可愛いのか、男性に意見をもらったり、実際に彼女のいる彼氏さんにインタビューをする中で、わかったことがある。

それは、「女の子たち、好きな人の前では、思いっきり笑っていなさい」ということだ。

私は好きな人ができると、とにかく色々と頑張るタイプで、彼の好きなお店を事前に調べたり、好きと言われた趣味のことは端々まで忘れないし、彼が好きだといった芸能人に似せたメイクを研究したり、いやもう・・・それはありとあらゆる手を尽くして、彼の「好き」に寄せようとする。

でも、付き合うと途端にその頑張りは消え失せて「彼のため」ではなく「自分のため」に、今後のことを考えるようになってしまう。

付き合うと決めたのなら、自分はこんなことをしたい。

付き合うと決めたのなら、彼氏としてこういうことをしてほしい。

そういう理想は、きっと誰にでもある。

・・・でも、私はそれをどうしても、相手にも求めてしまいたくなるのだ。相手にも、同じように思ってもらいたくなる。それが「共感性」というのなら、そんなものクソ喰らえと思うほど、相手にとっては迷惑なものだろうな、なんてことを思いながら、それでもやはり、相手にそれを求めてしまう弱い自分がいる。

「自分もこれくらいしたんだから」「自分もこれくらい考えてるんだから」

そんな押し付けのせいで、幾度もダメになった過去の恋愛を見つめながら、思う。

あぁ、そっか。

私、あの時、全然笑ってなかったんだ。

彼と喧嘩するときに、笑っている人なんていないだろう。でも、会うたび会うたび、どうしてこれをしてくれないんだろう?なんて不満が湧き上がる関係性の中で、そんな関係に「ピリオド」を打ちたいと思えるのは、誰だって当たり前の感情なのではないだろうか。

あのときに必要だったのは、多分。

ただただそばにいて、笑える関係を作ること』だったんだと思う。

一緒にいて楽しい、とか。一緒にいれて、嬉しい、とか。そういう素直な気持ちを、ちゃんと伝えることだったんだと気づいたとき、思うのは、今隣にいてくれる「大好きで大切な」人のこと。

彼との関係の中での私は、なるべくいつも笑顔でいたい。思い返した時、笑っている自分の姿であってほしい。そう思ったら、なるべくいつも、笑顔でいたいなぁと、思う。

今日帰ったら、あなたと一緒にいられて嬉しいって、なるべくちゃんと伝えよう。私の彼氏でありがとうって。あなたといられて幸せだよって。なるべくちゃんと、伝えよう。

好きな人の思い出す先に、笑顔の私があってほしい。心からそう、思います。

あなたがくれたこのサポートで、今日もわたしはこのなんの意味もないかもしれないような文章を、のんびり、きままに書けるのだと思います。ありがとう。