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人は死んだら、〝向こう〟に、チリ紙ひとつも持っていけれない

「一番譲れないものはなんですか?」と聞かれたとき、あなたなら、なんと答えるだろう。

ある人は仕事道具だといい、ある人は午後に飲む珈琲といい、ある人は時間といい、ある人は恋人、というかもしれない。自分の一番好きなもの・譲れないもの・・・それが「ある」人生ってやつは、なんだかとっても素敵だなぁ、と思う。

そしてその譲れないものが、増えたり、減ったりしながら、生きていくのが人生なのだ、と説いたとき、けれど、その譲れないもの・人生をかけて大切にしていたものっていうのは、どれも、死んだあと、天国には持っていけないのだと思うと、なんだかとっても不思議な気持ちになった。

あんなに大好きだったお洋服も、お金をかけたコレクションも、お気に入りのアンティーク家具も、友達からもらったプレゼントさえも・・・
自分が旅をするようになったとき、持っていけるのはせいぜいキャリーひとつに収まるだけ、それだけだった。

現在、数百着以上あった洋服は全て段ボールにしまわれ、コレクションは埃をかぶり、友達からもらったプレゼントは、使わないまま、開封されることもなく押入れに眠っている。

そしてそれは、今見返すと、そのときほど、大切には思わない品々だったりする。

それならば、私たちが本当に大切にしなければならないものってなんだろう。

深く、深く、そう思ったのである。

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形のある「もの」というのは、いつか壊れてその姿を見れなくなる。それは私たち人間も同様で、形のある「わたしたち」は、死んだら骨と皮と肉になって、そのまま炎で燃やされて、小さな小さな灰になる。

大切だった「もの」が、形がなくなり、目の前から消えたとき、
私たちに残るものは、その「もの」が与えてくれた、思い出だったり、記憶だったり、気持ちだったり・・・そんな「目に見えないも」へと変化する。

そして、その「目に見えないもの」が、そのあとの生涯、ずっと自分の心の中に残るのだ。

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この理論を話したとき、ではその「目に見えないもの」を「信仰」と呼んだのなら、どうだろう、と考えた。

信仰は、決して目には見えない。

そして。

私たちの信じる先にある、イエス・キリストの姿も、もうこの世で、誰も目にすることができない。

小さなチリ紙一枚でさえも、一緒に向こうには連れていけない。でも、私たちの「思い」というのは、姿がなくてもなお、そこには残る。

それは、故人を誰かが偲んだり、想ったり、思い出したりするその気持ちとなにか変わるのだろうか。きっと・・・その心と一緒で、私たちにとっての「信仰」というのは、本当にかけがえのない、大切なものであることは、ずっとずっと、確かなことだと思うのだ。

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新しく開設した「クリスチャン専用」のアカウントが、とうとうフォロワー200人を超えた。

このツイートをフォローしてくれている人々は、私にとっては、ある意味家族のような、そんな気持ちでいつも更新している。

クリスチャンが世の中で、表立って何かを言う機会は、まだまだ少ない。あったとしても、それは同じクリスチャンに向けられて発信されていることで、神様を知らない人=ノンクリスチャンへの発信となると、その数はもっともっと、限られた物となる。

私は、有名になりたいから、発信をしているわけではない。だって、いくら有名になったとしても、その名誉さえも、最後は天国に持っていけないからだ。

「それじゃあ、なぜ、クリスチャンとしての発信を続けるのか」と問われたら、それは、「クリスチャンとしての生き方を、ひとりでも多くの人(神様を知らない人)に伝えたい。」という、その想いひとつからきている。

別に、知らなくても、本人が困ることはないかもしれない。でも、この社会に、現代に「辛さ」や「闇」や「苦しさ」を抱えて、生きづらい人生を歩んでいる人を多く見かける。そういう人に、必要なのは、果たして「名誉」や「地位」や、はたまた「大金」や「成功」なのだろうか?

・・・本当に、それが幸せなのだろうか?と考えた時、なにひとつも天国に持っていけない私たちの、一番大切にしなければならないことは。

「豊かに生きていくこと」のために必要なのは、やっぱり「神様」を信仰するという、正しい生き方を知るという、その一択に戻ってくるのではないかと、私はそう、思うのだ。

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まだまだ、私一人の力では、福音を世の中に伝えていくのは難しいと思う。でも、私は、地位や名誉はいらないし、大金も、豪華な家も、コレクションだって、必要じゃない。ただそこに、自分が生きていけるだけの恵があれば、それで充分なのである。たくさん持たないからこそ、空いた片方の手で、まだ足りないと言っているあなたの、手をひくことはきっとできるから。

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クリスチャンとして生きていく。そう決めた私が、これからできること。

もっともっと、考えていきたい。そのために、どうか、力を貸してくれると嬉しいです。神の家族と共に一緒にいれるとき、私の心は平安だから。

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あなたがくれたこのサポートで、今日もわたしはこのなんの意味もないかもしれないような文章を、のんびり、きままに書けるのだと思います。ありがとう。