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クリスチャンは婚前行為ができない|愛するの本当の意味とは。

クリスチャンはなぜ、婚前行為(結婚前にするセックス)をしてはダメなんですか?

DMにそんな質問が来るたびに、「そうだよね、わかんないよね」と思っていた。クリスチャンになった今、その質問に対して、私も例外ではないだろう。

罪を告白すると、クリスチャンになる前、婚前行為は当たり前だと思っていた。今時、「結婚してからじゃないとセックスできない」なんて、古い。第一、女の子には女性ホルモンがあって、それを分泌させることで綺麗になれる要素だってあるからだ。

そう。だから・・・クリスチャンが婚前行為をしてはダメな理由については、私も答えられない。というか、答えたとしても納得できる答えではない、というのが本音かもしれない。

「聖書に、そう書いてあるから」

「自分と相手の、大切な体だから」

そんなことは言えても、愛する人が隣にいて、その人に求められてしまったら、女として、それに甘えたい、応えたいと思う気持ちは、あって至極当然なものだと思う。だから、もし今これを読んでいるティーンくらいの女子たち、好きな人に求められて、応えたいと思ってしまったことがあるのなら、それはあなたが悪いわけじゃないよ。自分を責めないでほしい。

だから、婚前行為について、明確な答えを導き出せるわけじゃないし、私だって、正直、苦悩と葛藤の毎日を過ごしている。

でも、一つだけ。

そんな私から、一つだけ、この問いに対して、返せることがあるのだとしたら、それは。

「セックスをすることだけが、愛情表現ではない」ということだ。

確かに、愛する人と結ばれたい、もっと近くに寄りたい、というのは、素直な欲求だと思う。

でも、それは、「愛する人と結ばれたい」という、あなたの純粋な心があるからこそ思うことで、もしそこにその気持ちがなくて、ただの「快楽」としかセックスを捉えてなかったとしたら、そんな心のないセックスは、いくら身体を重ねたとて、虚しい。

愛する人と結ばれたい、気持ちはわかる。でも、それは手を繋いだり、ハグをしたりすることだけでは収まらない気持ちなのだろうか。満たされないものなのだろうか。

愛する人と一緒に、手を繋いで外を歩く。途中に見えるカフェに立ち寄って、一緒にコーヒーを飲みながら、今日は何しようかなと話をしてデートを決める。結局何もしないまま、ゴロゴロと部屋の中で過ごす二人きりの時間だって、「相手が好き」という気持ちがあれば、どれだって特別なはずだと思う。

婚前行為ができない=そこに愛がない、と捉えてしまうのであれば、その方がずっと問題だ。

その行為がなければ、相手の愛を感じることができないのなら、その相手は本当に、あなたを愛してくれているのだろうか。

婚前行為について、正しい知識でこう!とは言えないけれど、愛はそんなところで測れないのではないか、と、もしかしたら神様は、ずっと昔からそれを知っていたのかもしれないな、と思う。そうであるのなら、私たちが目線を向けるべきは「婚前行為ができない」というところではなく「愛で相手を満たすにはどうすればいいか」ということではないだろうか。

いつも恋愛に関するDMをくれるみなさん、ありがとう。

私も同じように悩んでいるから、みんなが安心して相談できるコンテンツを、ちゃんと作って届けるね。

全国のクリスチャン(特に若い世代の子たち)に届きますように。

2019・1・11 クリスチャンライター ich (twitterフォローしてね

あなたがくれたこのサポートで、今日もわたしはこのなんの意味もないかもしれないような文章を、のんびり、きままに書けるのだと思います。ありがとう。