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神宮の森に、あの頃、夜の風

何を隠そう、私は中日ドラゴンズファンである。
記憶にあるのは幼稚園時代、親に連れられて行ったナゴヤ球場の内野席。当時、星野監督政権で立浪(現中日監督)がドラフト1位で入団し、ショート宇野がセカンドにコンバートされた二遊間。ファーストは4番落合(前中日監督)、捕手に中村武志、抑えのエースは郭。彦野に川又、ゲーリーとリーグ優勝を飾った黄金期の一遍の真っ只中であった。
親は例に漏れず野球好きであったが中日の熱烈なファンという事もなく、住んでいる地元球団だから見に行った程度だろうが、私にとっては体験したことが無いプロの熱量に鮮烈な印象を残した。

小学生になりナゴヤ球場は当時外野席は500円で見ることが出来た。気が向けばお小遣いを握りしめ名鉄で球場へ向かう。応援団が愛があるが故に喧嘩をし、周りはそれを煽る。それでいて自球団を全身で応援をする、そこには野球特有の一球で試合の流れが変わる独特の期待感、2アウトからでもドラマは起きる、そんな雰囲気にのまれ、私は中日に魅了されていくのは必然であった。

1997年にナゴヤドームへ本拠地を移転した中日はドーム特有の守る野球に変化した。落合政権下になり徹底した投手王国の座を築いた中日は常勝チームとなり勝利を重ねた。日本一にもなった。ただ少なからず物足りなさを感じていた、それはあの時見ていた”恐竜打線”と比喩された超強力打線のイメージを当時の中日に求めていたからである。1点取れればそれで勝てる、確かにそうである。しかし打席に入る選手に誰しもが安打を期待し、脚で塁を駆け抜け圧倒的破壊力で点を重ね続けていく。それこそが私の野球観であった。落合・ゲーリー・大豊・パウエル数々の強打者に期待した打席を未だ求めている。

いつも地元ナゴヤドームでしか試合観戦に行けていない私にとって関東は球場の宝庫だ。東京ドームに神宮球場、横浜スタジアム、西武ドーム、マリーンスタジアム。どこでも近くてその気があれば行くことが容易である。しかし出来る事であれば中日が見たい、敵本拠地で戦う中日が見たい。そんな私の希望に声をかけてくれる人が居た。

2022年4/7 東京ヤクルトスワローズ対中日ドラゴンズ。あの頃の屋外球場の雰囲気を久々に味わった、それは明治神宮球場でだ。昨年の覇者であるスワローズ相手に、プロ入り3年目の高橋が力投し自身プロ初勝利と初ヒット。また石川の今季2号、京田1&2号、木下2号とホームラン攻勢と根尾の代打、森の無失点リリーフ、清水の2奪三振3者凡退リリーフと、あの頃ナゴヤ球場で見た夜空が見える球場で、当時のように躍動する中日の選手たち。暗闇にコントラスト強めに見える放物線を描く白球は恐竜打線と言われた当時を彷彿とさせる打線と、かの投手王国と呼ばれた落合政権最強時代のインパクトを同時に再び見せてくれた。

言ってしまえば1/143に過ぎない一戦だが、若い選手が確かに流れを作っていた。当時中日の若大将と呼ばれた立浪は監督として今年から手腕を振るっている。私が初めて野球を見た、立浪1年目の1988年シーズンのように34年経った2022年シーズン、新生立浪監督として1年目を駆け抜けて行って欲しい。

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