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”あお”で彩る、人生を。

”あお”ってさ。

”あお”って不思議な色だなと思う。

「青空」はポジティブなのに、「ブルーな気分」はネガティブ。
ナミダは透明なのに、「悲しいナミダ」も、「嬉しいナミダ」も、描くとしたら”あお”が使われる。

ちなみに、漢字はこういうことらしい。

… 未熟、年少の、若いという意味。
… あおざめて生気がない、色つやがないという意味。
… あお色の美しい石に由来する輝くという意味。

え、明るい色なの?暗い色なの? 不思議だなと思う。

そして私は昔から、藍色・ターコイズブルー・淡い水色とか、
なにかと”あお”を綺麗と感じることが多かった。
もちろん、クレヨンの青も綺麗だなと思う。

海とか空とかアートとか、自分のカメラロールや部屋に飾るモノも、
なんとなく”あお”色が多い気がする。

あ、でも、
好きな色は?って聞かれたら、みどり色なんだけどね。(今は。)

ちょっと話がそれたけど、
好き・嫌いとか、綺麗・綺麗じゃないとか、そういうんじゃなくて、
この”あお”色が持つ不思議さを、(あくまで私は)『魅力的だな』と思う。

明るい・暗い、光と影、
(あくまで私は)どっちも大切だと思うし、どっちも大切にしたい。
どっちもあるのが豊かだと思うし、どっちも大切にできることを豊かだと思う。(あくまで私は)

だから、自分の人生を描くなら、
自分の人生を豊かなものにするならば、
”あお”色の種類が多い人生、そんな生き方で描いていきたい。

この曲がね。

唐突に話を変えると、昔の私が救われた曲がある。

森山直太朗さんの『生きてることが辛いなら』
ふとしたきっかけで聞いて、歌詞にゾッとした。

いったん歌詞を見てみると

生きてることが辛いなら
歌:森山直太朗
作詞:御徒町凧 作曲:森山直太朗


生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り
気が付きゃみんな年取って 同じとこに行くのだから

生きてることが辛いなら
わめき散らして泣けばいい
その内夜は明けちゃって 疲れて眠りに就くだろう
夜に泣くのは赤ん坊だけって決まりはないんだし

生きてることが辛いなら
悲しみをとくと見るがいい
悲しみはいつか一片の お花みたいに咲くという
そっと伸ばした両の手で 摘み取るんじゃなく守るといい

何にもないとこから
何にもないとこへと
何にもなかったかのように
巡る生命だから

生きてることが辛いなら
嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで 宇宙は小さな水飲み場

生きてることが辛いなら
くたばる喜びとっておけ

生きてることが辛いなら

うん。
読むたんびに感じ方が変わるのが、また自分の変化を感じられて面白いけれど、ここでは救われた部分の話をしてみる。

いつかの私は、
『生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ』
ここに救われた時があって。

最後の最後に何を言ってるんだとも思ったけど、
けっこう?地味に?今の私はこの言葉に支えられている気がしている。

正直、当時の私が求めていたことは
「もう頑張らなくてもいいんだよ」って誰かに言ってもらうことで。

「もうがんばれない…」と感じていたのに、
その気持ちを言語化することすらがんばれず、
「でも、あと少しだけがんばろう!」なんて前向きな言葉は紡げないまま、
誰かに「もう頑張らなくていい」って許可をもらわなきゃ、がんばらないことすらできない状態だった気がする。

その時に聞いた、
『生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ』
なんとも衝撃的で。

その衝撃をビシッと言語化できないけれど、
むしろ自分の語彙力が圧倒的に足りないくらい、何かが動いた感覚だけは覚えている。

そこから、”くたばる喜び” を最大化することには
がんばろうと思えるようになってきた。

”がんばり” という投資に対して、”くたばった時の喜び”というリターンを最大化することに意識が向くようになってきた。

せっかくここまでがんばってきたのに、
ここで楽にくたばることを選んでしまったら、
”くたばった時の喜び” という意味で損をしてしまう。

過去の自分を報うためにも、
どうにか今まで積み重ねてきた”がんばり”を、”くたばった時の喜び”として最大限に回収したい。

あまり胸を張って言えることではないけれど、
「あなたは毎日、いったい何のためにがんばっていますか?」と聞かれたら
「”くたばる喜び”を最大化させるためです。」が答えになると思う。

ただ別に、この答えに満足している訳ではなくて。
もっと良いエネルギーを持てたらなと思いつつ、
現実としてのエネルギー源がここだというお話。

”あお”の話に戻すね。

なんでこの2つの話をしたかと言うと、
最近この2つが繋がったから。

どう繋がったかと言うと、
ずっと分からなかった「どういう人生が、”くたばる喜び”が最大化されているっていうことなのか?」に対して、
「あお色の種類が多い人生」が答えとしてピタッとハマった。

そして、けっこう深く腹落ちしている。私史上、一番きれいな「ストン」が聞こえたくらい。

つまりは、私は
明るい・暗い、光と影、
どっちも大切だと思えて、どっちも大切にしたいと思えて、
どっちも大切にできる人生が豊かだと思っている。

それはきっと、痛かった、苦しかった、しんどかったことを
隠すんじゃなくて、目を逸らすんじゃなくて、恥ずかしいと思うんじゃなくて、
それも自分の人生の一部として、ちゃんと大切にしたいっていうことだと思う。

よく、『豊かな人生 = 彩りのある人生』って聞く気がするけど、
(あくまで私は)何色もあることだけが”彩り”じゃないと思いたいし、
”あお”の一色だけでも彩りだと思いたいし、
その”彩り”は綺麗だと信じたい。

まずはこの自分の感性を信じて、
色んな”あお”を使って、自分の人生を彩っていきたい。
過去に封印してしまった”あお”も、しっかり引っ張り出して使ってあげたい。

まぁもし綺麗じゃなかったら、その時はその時で、他の色を足していこうと思う。

あとね。

もう少しだけ話を続けさせてもらうと、
色の選び方にも、小さな「こうしてみたいな」が生まれた。

それは、どの色鉛筆を使うかっていうことで。
つまり、世界に用意された色鉛筆の中からは選びたくないっていうことで。

水色とか、紺色とか、藍色とか、
すでに存在している色も名前も、もちろん素敵だと思うけど、
きっと広く、深く、明るく、暗く、あお色の世界はあるはずだから、
誰かが分節した名前という言葉をもとに選んでいくのは、
なんか少し違和感があるという感じ。

空を描くなら、水色って書かれた色鉛筆を選ぶよね。
海を描くなら、青色って書かれた色鉛筆を選ぶよね。

そういうことじゃなくて、
自分の中に生まれた色をそのまま使って描いていく、
自分の中に生まれた色を色鉛筆にしていく。

そんな風に描いていきたいなと、生きていきたいなと。

そしていつか、「自分が世界に新しい”あお”色の名前をつくってみたい。」
そんなことを感じている。

それは別に、有名になりたい!とか、すごいことをしたい!っていう意味じゃなくて、

もしかしたら自分が、
隠すんじゃなくて、目を逸らすんじゃなくて、恥ずかしいと思うんじゃなくて、
綺麗だと信じてつくった色鉛筆が、
誰かの人生を描くのに、彩るのに役に立つかもしれないと、少しだけ思えたから。

これが最後ね。

気がついたら長くなってしまったけれど、
これからの私へ、少しだけエールを贈るなら

”あお”で彩る、人生を。

こう伝えてあげたい。


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