”あお”で彩る、人生を。
”あお”ってさ。
”あお”って不思議な色だなと思う。
「青空」はポジティブなのに、「ブルーな気分」はネガティブ。
ナミダは透明なのに、「悲しいナミダ」も、「嬉しいナミダ」も、描くとしたら”あお”が使われる。
ちなみに、漢字はこういうことらしい。
え、明るい色なの?暗い色なの? 不思議だなと思う。
そして私は昔から、藍色・ターコイズブルー・淡い水色とか、
なにかと”あお”を綺麗と感じることが多かった。
もちろん、クレヨンの青も綺麗だなと思う。
海とか空とかアートとか、自分のカメラロールや部屋に飾るモノも、
なんとなく”あお”色が多い気がする。
あ、でも、
好きな色は?って聞かれたら、みどり色なんだけどね。(今は。)
ちょっと話がそれたけど、
好き・嫌いとか、綺麗・綺麗じゃないとか、そういうんじゃなくて、
この”あお”色が持つ不思議さを、(あくまで私は)『魅力的だな』と思う。
明るい・暗い、光と影、
(あくまで私は)どっちも大切だと思うし、どっちも大切にしたい。
どっちもあるのが豊かだと思うし、どっちも大切にできることを豊かだと思う。(あくまで私は)
だから、自分の人生を描くなら、
自分の人生を豊かなものにするならば、
”あお”色の種類が多い人生、そんな生き方で描いていきたい。
この曲がね。
唐突に話を変えると、昔の私が救われた曲がある。
森山直太朗さんの『生きてることが辛いなら』
ふとしたきっかけで聞いて、歌詞にゾッとした。
いったん歌詞を見てみると、
うん。
読むたんびに感じ方が変わるのが、また自分の変化を感じられて面白いけれど、ここでは救われた部分の話をしてみる。
いつかの私は、
『生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ』
ここに救われた時があって。
最後の最後に何を言ってるんだとも思ったけど、
けっこう?地味に?今の私はこの言葉に支えられている気がしている。
正直、当時の私が求めていたことは
「もう頑張らなくてもいいんだよ」って誰かに言ってもらうことで。
「もうがんばれない…」と感じていたのに、
その気持ちを言語化することすらがんばれず、
「でも、あと少しだけがんばろう!」なんて前向きな言葉は紡げないまま、
誰かに「もう頑張らなくていい」って許可をもらわなきゃ、がんばらないことすらできない状態だった気がする。
その時に聞いた、
『生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ』が
なんとも衝撃的で。
その衝撃をビシッと言語化できないけれど、
むしろ自分の語彙力が圧倒的に足りないくらい、何かが動いた感覚だけは覚えている。
そこから、”くたばる喜び” を最大化することには
がんばろうと思えるようになってきた。
”がんばり” という投資に対して、”くたばった時の喜び”というリターンを最大化することに意識が向くようになってきた。
せっかくここまでがんばってきたのに、
ここで楽にくたばることを選んでしまったら、
”くたばった時の喜び” という意味で損をしてしまう。
過去の自分を報うためにも、
どうにか今まで積み重ねてきた”がんばり”を、”くたばった時の喜び”として最大限に回収したい。
あまり胸を張って言えることではないけれど、
「あなたは毎日、いったい何のためにがんばっていますか?」と聞かれたら
「”くたばる喜び”を最大化させるためです。」が答えになると思う。
ただ別に、この答えに満足している訳ではなくて。
もっと良いエネルギーを持てたらなと思いつつ、
現実としてのエネルギー源がここだというお話。
”あお”の話に戻すね。
なんでこの2つの話をしたかと言うと、
最近この2つが繋がったから。
どう繋がったかと言うと、
ずっと分からなかった「どういう人生が、”くたばる喜び”が最大化されているっていうことなのか?」に対して、
「あお色の種類が多い人生」が答えとしてピタッとハマった。
そして、けっこう深く腹落ちしている。私史上、一番きれいな「ストン」が聞こえたくらい。
つまりは、私は
明るい・暗い、光と影、
どっちも大切だと思えて、どっちも大切にしたいと思えて、
どっちも大切にできる人生が豊かだと思っている。
それはきっと、痛かった、苦しかった、しんどかったことを
隠すんじゃなくて、目を逸らすんじゃなくて、恥ずかしいと思うんじゃなくて、
それも自分の人生の一部として、ちゃんと大切にしたいっていうことだと思う。
よく、『豊かな人生 = 彩りのある人生』って聞く気がするけど、
(あくまで私は)何色もあることだけが”彩り”じゃないと思いたいし、
”あお”の一色だけでも彩りだと思いたいし、
その”彩り”は綺麗だと信じたい。
まずはこの自分の感性を信じて、
色んな”あお”を使って、自分の人生を彩っていきたい。
過去に封印してしまった”あお”も、しっかり引っ張り出して使ってあげたい。
まぁもし綺麗じゃなかったら、その時はその時で、他の色を足していこうと思う。
あとね。
もう少しだけ話を続けさせてもらうと、
色の選び方にも、小さな「こうしてみたいな」が生まれた。
それは、どの色鉛筆を使うかっていうことで。
つまり、世界に用意された色鉛筆の中からは選びたくないっていうことで。
水色とか、紺色とか、藍色とか、
すでに存在している色も名前も、もちろん素敵だと思うけど、
きっと広く、深く、明るく、暗く、あお色の世界はあるはずだから、
誰かが分節した名前という言葉をもとに選んでいくのは、
なんか少し違和感があるという感じ。
空を描くなら、水色って書かれた色鉛筆を選ぶよね。
海を描くなら、青色って書かれた色鉛筆を選ぶよね。
そういうことじゃなくて、
自分の中に生まれた色をそのまま使って描いていく、
自分の中に生まれた色を色鉛筆にしていく。
そんな風に描いていきたいなと、生きていきたいなと。
そしていつか、「自分が世界に新しい”あお”色の名前をつくってみたい。」
そんなことを感じている。
それは別に、有名になりたい!とか、すごいことをしたい!っていう意味じゃなくて、
もしかしたら自分が、
隠すんじゃなくて、目を逸らすんじゃなくて、恥ずかしいと思うんじゃなくて、
綺麗だと信じてつくった色鉛筆が、
誰かの人生を描くのに、彩るのに役に立つかもしれないと、少しだけ思えたから。
これが最後ね。
気がついたら長くなってしまったけれど、
これからの私へ、少しだけエールを贈るなら
”あお”で彩る、人生を。
こう伝えてあげたい。
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