【連載記事】『ボーはおそれている』 徹底考察その4 映画を理解する上で重要となる概念について

本記事からはその3で解説した一つの仮定の下解説を進めていくので、まだ読んでない方は読んでいただきたい


フロイト理論

無意識と夢

解説記事その3でボーが見る夢の内容からボーのトラウマについて考察したが、実はこの夢の中からトラウマの内容を読み解くという作業は、オーストリアの有名心理学者のフロイトが提唱していた精神分析であり、本作はこのフロイトが提唱した精神理論をもとにして作られている

これは海外でのインタビューや日本での対談でも監督自身フロイトについて言及しているので確実な事実だと言い切れる
フロイトが提唱した理論について簡単に説明すると、
人には無意識という領域があり、その領域に本人も覚えていないようなトラウマが抑圧されており、それが抑圧されすぎると様々な異常行動や精神病に発展するという理論である
そしてその無意識が一番顕著に現れるのが夢の中であるとしており、当時原因が分からなかった精神病も、催眠療法などでトラウマを表面化させればその原因が分かるようになると述べている
youtubeで分かりやすくフロイト理論について解説している動画があるので興味があれば見ていただきたい

フロイトの精神分析でも親からの性的虐待が原因となっていた例も多かったようである

エディプスコンプレックス

そしてフロイトが提唱した理論の中に、日本でも非常に有名な「エディプスコンプレックス」という理論がある

エディプスコンプレックスはよく男がマザコンである理由を説明するときによく用いられるもので、異性としての母親を求めると同性である父親とライバル関係になり、葛藤が生じるようになるという理論である
そしてこの理論の中に近親相姦と去勢という概念が登場する

子供が実際に母親ばかりにくっついていると、父親は「お前のペニスを切り取るぞ」と脅すのだという
母親を求めれば「去勢される」し、父親の元に跪いて父親に愛される母親の立場に収まるのならば、子供は「去勢されている」と感じるのであり、どちらにしろペニスを保持するための葛藤にさいなまれるのである
子供は自分のペニスを保持するために、近親相姦をする欲求を諦め、また父親と対立することも諦めて、両親とは別の方向へ歩き出す

wikipedia

ボーが見ていた風呂場での悪夢というのは、母親との近親相姦により母親によって去勢される夢なのではないかと思う
つまりボーと母親の関係は父と母の関係が逆になったいわゆる「逆エディプスコンプレックス」のようなもので、
ボーが必死に父親について尋ねていたように、ボーは母親よりも父親を求めていた。
それをよく思わない母親は父親ばかり求めるボーを「近親相姦」という性的虐待によって「去勢」した。
これがボーの見る風呂場での悪夢が表していることなのではないか。ということである
またセックスしたら死ぬと嘘をつくのも一種の去勢だと解釈できる

フロイト理論の特徴

映画の中でやけに性器がモロに出てきて困惑した方も多いと思うが、実はフロイト理論の中にもやたらチンコが出てくる
フロイトは人間の性欲と精神発達には深い関係性があるとしていたので、人間の成長のありとあらゆることを性欲に結びつけて分析しているためである

フロイト理論における水

映画内に水が随所に出てきていたが、フロイト理論において水は母親を表すとしており、まさに本作のテーマと共通している
人間は誰しも羊水から抜け出して生まれてくるので、水というのは誰もが母親の胎内で最初に触れるものと考えられ、フロイトは水を羊水と結びつけていた
実際本作は羊水から抜け出して誕生するシーンから始まり、ボーは大人になっても水が原因でパニックになる様子が描かれており、フロイト理論で考えると母親離れ出来ていない様子を表していると言えるだろう

ラストシーンの解釈

フロイト的解釈

さて水を羊水だと考えればラストシーンの新たな解釈が可能になる
水は羊水なのでボーが入る洞窟は産道を表しており、最終的に辿り着くドームのような場所は子宮を表していると捉えることができる
つまりラストシーンは羊水から抜け出し産道から外の世界に出たオープニングシーンの逆再生だと考えられる

胎内回帰

ボーがラストシーンでおもむろに洞窟の中に入っていくのは、洞窟を産道だとすると心理学用語の胎内回帰という概念と非常に似ている

「暗くて狭く暖かい」場所を求める傾向を、「胎内回帰願望」と呼びます。 この願望はエビデンスこそありませんが、比較的多くの人に知られている願望でしょう。目白大学教授の渋谷昌三教授によれば、
人には胎児期の記憶があり、普段は無意識に収められているはずのその記憶が、時折、子宮への郷愁という形で現れるとする説
だそう

胎内回帰した結果ボーは母親により子宮に沈められてしまうのである

エヴァンゲリオンとの関係

解説記事その2でエヴァンゲリオンとの関係について書いたが、エヴァンゲリオンにもLclという水が登場し、これも羊水を表しているとされている
エヴァに乗ってlclに体を浸すという行為は胎内回帰を表しているとされていて、これも本作でボーがお風呂に入る行為やラストシーンおもむろに洞窟の中に入る行為と共通しているところがある
こちらの記事はエヴァンゲリオンの胎内回帰について解説された記事であるが、この記事で解説されている概念はボーはおそれていると共通しているので読むと理解がより一層深まるだろう

エヴァンゲリオンでは最後エヴァが存在しない世界へ脱却することで自分を獲得するという話だが、今作はラストになっても母親からは離れられない
ラストシーンは真逆ではあるが扱っている問題や概念は共通しているのである

まとめ

今作にはフロイト理論をもとに作られたのではないかと思わせるシーンが多数存在しており、フロイトを参考に今作を作ったということは監督自身インタビューで認めているので、もしかすると今作を一番深いところまで理解できるのは心理学や精神医学に詳しい専門家なのかもしれない

アリ・アスター監督 説明するのが難しいのですが、まず今作はユダヤ人の文化的観点から描こうと思いました。ユダヤ人の文化においては母と子の関係はすごく密であり、かつ閉塞感があるんです。そしてそこにフロイト的な話を織り交ぜました。フロイトはすべては母親が原点にあるという精神分析ですから、なんでもかんでも原因は母にあるというコメディーを作ってしまえ!という感じで作品を作ったつもりです。というわけで自分自身も笑ってしまうようなコメディーが出来あがったのです。

私は全く詳しくなく、ネットの情報をもとに書いているにすぎないのでそこはご了承いただきたい
その5はこちら


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