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E.YAZAWA-MY WAY RADIO

その声を聴いたのは小学5、6年の頃。
当時、家族でアメリカに移住し、
生活がガラリと大きく変わった。
日本に住んでいては気が付かない
「内」と「外」の世界がそこにあった。

英語は父親以外話せない。
その父も仕事が忙しくてそばに居ない。
母親と自分と弟の3人で過ごすことが多かった。
ウチの家族が仲が良いのは
この時の経験があるからだと思う。
団結しないと生きていけない!
当時はカルフォルニア州、
サンフランシスコ近郊の
サンマテオという街に住んでいた。

近所に日本人の家族も住んでいたので
遊んだこともあるが、
家に行き来するのも車が必要。
よく映画でも親が友達の家まで
送り迎えするシーンが出てくるが、
あんな感じ。

アメリカ生活において車は欠かせない。
その車の中で流れる音楽は自然と
自分の耳に、体に入ってくる。
音楽好きの母親はラジオも聞いてたけど、
日本に住んでいる知人が日本で流行っている
曲をカセットテープにダビングして
送ってくれたりしてた。

その一本のテープに
A面「安全地帯」
B面「矢沢永吉」
というとんでもない対バンセレクトの
テープがあった。
確か収録されていたのは
安全地帯Ⅳと東京ナイト
調べてみると安全地帯は1985年リリース
東京ナイトは1986年リリースのアルバム。
どちらも当時大ヒットした作品。

この作品、今聞いても素晴らしい
安全地帯はこれからヒットチャートを
席巻していく勢いがあるし、
緻密に設計された楽曲に
玉置浩二さんの声がシルクのように、
また高級車のエンジンみたいに美しく
力強く響く声は絶品だ。
それにしても「あなたの肌を甘やかしてた」とか
「ディープキッス」などのセクシーな歌詞を
意味も分からず小学生が聞いていたと思うと微笑ましい。

そして、永ちゃんの
東京ナイトはプロデューサーの
アンドリュー・ゴールドとの共同作業。
YAZAWAを代表する一曲、
「止まらないHa〜Ha」が収録されている。
永ちゃん、当時36歳。
日本のロックを牽引する存在でありながら
その目線はすでに先を見つめているような、
シンセサイザーを多用したサウンドは
当時の日本の音楽シーンの最先端の香りがする。

 E. YAZAWA MY WAY RADIO

音楽活動50周年という節目に
Apple Musicでインタビューを行った。
東京ナイトという作品で出会った自分は
その後も「共犯者」「情事」「THE ORIGINAL」
中学、高校の時も聞いていた。
僕も色んな音楽を聞いてきたが、
矢沢永吉はスペシャルだ。
音楽だけでない、音楽以上の
存在と影響力を持つ
「人間・矢沢永吉」として放つオーラ、
インタビューなどで数多く残されている
「言葉・名言」は多くの人の心を
掴んで離さない。

自分も矢沢永吉という人の音楽、言葉、
そして、生き様に影響を受けて来た一人だ。
ライブは毎年のように永ちゃん仲間と
一緒に参加している。
初めて矢沢永吉にインタビューしたのは
2004年、アルバム「横顔」のリリース
キャンペーンだった。
緊張のあまり、つけていたヘッドホンの
耳のところに大量の汗をかいたのを
覚えている。

その後、有難いことに
キャンペーンがある度に
インタビューアーとしてご指名頂き、
これまで何度もインタビューさせている。
しかし、毎回の緊張度はMAXで
慣れることはない。

今回はApple Musicの
スペシャルインタビュー。
8月5日に全世界に配信される。
5日の16時からはApple Music 1で
全世界に向けて生配信。
もちろん、会員の方はそれ以降も
Apple Musicで聞くことが出来るし、
EIKICHI YAZAWA MY WAY RADIOは
今後いくつかエピソードを配信する。

ぜひ、インタビュー映像もあるので
こちらも楽しんで頂きたい。
あのDIAMOND MOONで撮影した。

昔、母親がよく言っていた
「会いたい」と強く願い続ければ
きっと会える。
この言葉は本当だと思う。
あの頃、内側で聞いていた音楽が
その後、外への扉を大きく開いてくれた。

E. YAZAWA MY WAY RADIO
初回のテーマは「出会い」
ぜひ、お楽しみ下さい。


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