「中の人などいない」を、あらためて読んで思い出したこと。

 震災の直後からしばらくの間、僕はラジオでは何もできなかった。このとき僕は、いかに自分が無力であるかを思い知った。
 そして、しばらくお休みしていた番組が復活し、徐々に仕事にも“日常”が戻り始めた。
 さらに1〜2ヶ月が経った頃からだろうか。震災の前からリクエストを送ってくれていた東北のリスナーからのメールが、少しずつ、また少しずつ、番組に届くようになった。深い悲しみとつらい日々を経て、再びメールを送ることができるようになったということが、本当に嬉しかった。そして、会ったことのない、言わば他人のことを、ここまで心配したことなんて、これまでなかったということに気がついた。
 でも、きっと僕は忘れている。それまでにも時々送ってくれていた番組宛のメールを、あの日以降、一通も送っていない、送れないリスナーがいるかもしれないということを。
 だからといって、本名も細かい住所もわからない彼らの消息を知るすべなんて、僕にはない。彼らは単に飽きてしまったのかもしれないし、新しい環境で、たまたまこの時間にラジオを聴けなくなっただけなのかもしれない。それでも、この“気がかり”は、ずっと僕の心の中の端っこに、ひっそりと残り続けていた。
 震災直後に感じた無力感とともに、この“気がかり”は、きっと永遠に消えることはない。ふとしたきっかけで、これからもこうやって思い出すのだろう。

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