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Hacia el Sur ‐ いつもそこに、はじまりの旅 ‐

                            長野麻紀子
 12月の風が吹いている。草原のすみずみまでくまなく新鮮でとうめいな風が吹き渡り氷河国立公園帰りのバスはぼんやりするほど広大な景色をかたかたひた走っていた。はじめての長旅。浮かれすぎてパスポートを宿の相部屋のベッドに忘れてくるという大失敗と、どこまでもすきとおった空と氷河の青、風に吹かれて飲み干したオンザロックで、青くなったり赤くなったり忙しい一日だった。

 なんだか今日の日が暮れてしまうのが惜しくて、近くの席の女の子に話し掛ける。くるくるした赤毛を後ろで一つに束ね、ほっそり白い頬にそばかすを花のように散らした女の子はキャサリンと名乗り、イギリスから来て大学に入るまでの一年をひとり旅している、と言った。もの静かな横顔に、さっきみた氷河みたいに青い目がちかちかと瞬いた。ぽつりぽつりと話しを紡ぐ。旅人の気楽さと率直さで。どこからきてどこへいくのか。なにをみて、なにを想い、生きているのか。ちっぽけで広大なこの星のうえで、互いの人生が一瞬交錯する。 これから南下して、南の果てのTierra del Fuego諸島までいくつもりだと告げると、彼女はおもむろに自分のセーターをわたしに手渡した。もうこの後は暖かい地方へ向かうから、と。12月は真夏だというのにパタゴニアにはこんなつめたい風が吹くのか、と一日ずっと薄着で震えていたのを彼女は知っていた。

 あのとき、肌上の温もりとともに、胸のうちにぽうと灯されたやさしいひかり。誰かが誰かにちいさな火をともし、それまた誰かにどこかで手渡され、継がれていく。そんなふうにじゅんぐり順番で巡りゆくせかいをおもうとき、ちょっとだけ胸の奥がほわんとする。漆黒の闇につつまれた宇宙の星々がまたたきかがやきささやいてくる。いきてる、みんないきてる、生命の火を燃やして。かたちあるもの、かたちなきもの。みんなみんなどこかでつながっているのだと、いつかどこかでとうのむかしから知っていたような気がする。だから、今日もまた、手を動かし、たましいをふるわせてつくる。この胸によろこびともして。

長野麻紀子 Anima-uni として彫金作品を制作発表
2019年工房からの風に「風人」として、「文庫テント」を担当
http://www.animauni.com/


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