なぜレイジローなのか

文章を徒然なるままに書くことは、あまりしてこなかったのだけど
書き出すと案外長文になっているということがよくある。
一昔前のmixiを始めた時の最初の投稿もたしかこんな感じで、
全く自分が触れてこなかったものに恐るおそる触れるような感じだった。

「文章を書くのは苦手」という先行する自己像。
だけど、かつてつけていた日記を読み返すと我ながらにそんなことを当時考えていたのかと、ハッとさせられる瞬間がある。おそらく自己内対話は多いほうで、アタマの中で展開される昨日のこと、ずっと心の中に残る一場面、明日やりたいこと、1週間後、1年後、3年後、10年後の自分や身の周りについて風呂でボーッと巡らせるうちに2時間経っているなんてことが増えてきた。ということは、、言葉にしていないけど、他人にも伝えていないけども、ぶつぶつ言いたいことは、案外たくさんあるのか?そんな自分を再び探すためにも。詩の練習もしたい。

本名は鈴木拓といいます。
実名がネットで公表されることに何のためらいもないけれど、日々のいろいろなことから解放されて自由な自分がどこかにいる気もする。たまに顔を出す。もっとその彼に出会いたいという気持ちがここ最近、特に大きくなってきている。あらゆる表現活動の中で、普段の自分とはまた別の自分が表現しているというのはよくテーマにあがるけれども、誰かに何かを伝えたい時、本当に自由な自分でいないと、何というかその場を楽しめない。下手をすると緊張と後悔で終わってしまうなんてことも多々あって、それはとてももったいないこと。言葉で言うのは簡単だけど、そこに至るにはおそらく何らかの習慣?鍛錬?を積んでこそだと思うし、それには自分や世界と向き合う豊かな時間が必要。日常に生きている自分と本来の自由な自分がなんでこんなに距離のある関係になってしまったのか、自分なりに考えてみたいし、本来なら分離しているようにみえるその2人はもっと行ったり来たり、重なり合うような関係であってほしい。仲間の一押しもありつつ、このnoteはそのきっかけにしたい。特に詩を描いている時、そんなことについてよく考えている。

禮次郎は自分の祖父の名です。
ふり返れば自分はいわゆるおじいちゃん子だったのかもしれない。
4つ下に弟、その年子に妹。忙しい母に代わって祖父の漕ぎ出す自転車の荷台にまたがり幼稚園に行っていたし、野菜を育てること、その畑のあった河川敷はいつ訪れても懐かしい感じがすること、工場勤務だった祖父には日曜大工に始まり工具の使い方、整理整頓、道具を愛すること、フィルムカメラと夕焼けの写真の美しさ、そこに飛んでいくプロペラ機への憧れ、軍国少年だった祖父がいわゆる左翼青年だったであろう父に理解を示しつつ時代とともに自分の思考も変わっていくこと、恋心に年齢は関係ないこと、人と話す時に少しのユーモアがあると楽しいことなどなど、教えてもらったというよりは、今の自分をまるっと捉えた時に似ているところ、祖父にルーツがありそうなことが結構多い気がする。
一方で、犯した過ちや刻まれた傷は世代を超えて憎しみに終わることなく、想像力をもって昇華していかねばならない(2024/1/1追記)。

そんなことが関係しているのか「レイジロー」は自分の中でキーワードだった。
「鈴木拓」という名前もこの情報社会にあって同じ名前の方は案外多い(笑)。
今はまだ距離を感じる、表現しようとしている自分に名前をつけてみたいと考えた時に、割に自然と出てきたのが「Rage Low」。後付けかもしれないけど、自分の現状や世界の実情に対して日々鬱屈としている感じや低音への愛着(音楽もバイクも低音が効いてると幸せ)がそのまま表されている感じもあっていいなぁと。一方では表現活動も本名がいいというのは今でもどこかにあって、頭の中にふわふわ浮いている「Rage Low」はそのまんまにしておいたのでした。これを機にそのふわふわ浮いているものに乗っかってみようと。

自分を映す新たな鏡
粗削りでいい
自由でいい
どこまでも
旅する日常
詩の世界
Rage Low

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