見えているものを疑え。
最近、家でヨガをするようにしています。
というのも私、「体が硬い」と嘆く人にも驚かれるほど、体が硬いのです。
今まで、体のハンデや運動音痴のせいにして、体と向き合わずにきた代償です。
noteの毎日更新と同じように、朝にヨガの「太陽礼拝」というヨガの基本ともなる動きをするする習慣を昨日からつけてみようと試みています。笑
しかしほんっとうに体が硬いので、当然スムーズにはいきません。正しいポーズの動画を見ながら取り組んでも、一般的な方なら当たり前に上がるであろう足が上がらない。
あまりにもぎこちないので、「実際のところどんな風に見えるんだろう?」と、ムービーを撮りました。
録画ボタンを押して、丁寧に太陽礼拝。
すぐに撮った動画をチェックして思いました。
「もっといけるだろ」
動画の私はモタモタとぎこちなく、それでいて全く辛くなさそうでラクをしているように見えました。
もっと体を伸ばせるように見えたし、足ももっとスムーズにあげれるはずだろ。とツッコミを入れたくなる動き。
しかし実際、動いていた時の自分は「かなり必死」でした。
・なんとか足をあげようと思うけれど上がらない。
・バランスをとれなくて崩れそうになるのを耐える。
手を抜いている瞬間なんて当然ありません。息が止まらないように必死に呼吸を流しながら、なんとか柔軟性をあげたくて必死。
でも映像からはそんな姿はカケラも感じませんでした。
ただそこから改めて、物事を客観的に見ることの意味、自分の見えているものが全てじゃないことを感じたりもしました。とても大それたことを言っているようになってしまうけど、この意識は本当に大切だと感じる。
誰かにとっては大したことのないことでも、また別の誰かにとっては大きな意味を持つ。
私のぎこちないヨガみたいに、一見怠けているように見える動きでも、実際動いている本人がどう感じ、どんな感覚を感じているのか。
本当のところは当事者にしかわからないけれど、自分の経験や体感が全てじゃない。
誰かの想いを勝手な自分のものさしでは推し量れない。
だから、やってみる。行動に起こしてみる。
わからない分、同じ経験をしてみる。
頭で考えたり、ただ話すだけではわからないことを、「行動」で知っていく。
ぎこちないヨガ動画から、そんなことを考えさせられました。笑
太陽礼拝、頑張って身体の改革も進めるぞ〜
最後まで読んでくださって、ありがとうございます!
ぜひ、また明日(^^)
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