評価も比較もされず、自己表現をできる場所
教室の入り口についたとたん、「ママ!ドラえもんのこうえんみたい!」と興奮しながら、いつも「ママくつぬぐのてつだって~」という4歳息子が自分でささっと靴をぬぐ。
受付にむかって「こんにちはー」と自分からあいさつをして、ドラえもんの空き地にある土管のような場所を見に行き、近くのテーブルの下にはじめてみるブロックを発見して、なにも言わずブロックつくりはじめる。
時間になって「はじめるよ~」というお兄さんの声がすると、こちらを振り向くことなく部屋に入っていき、先生にも自分から質問をしているようだ。
はじめての場所とは思えない息子の様子に、わたしは夫と目をあわせて何度も「すごいね…」とつぶやいた。
息子は鈍感なタイプではない。
赤ちゃんの頃から、はじめての場所に行くと固まったり、泣いたり、私たちの近くからなかなか離れようとしなかった。今でも泣いたりはしないけれど、「ママとなりにいて」とわたしから離れないようなときもある。
それなのに。なんだろう、今日のこの様子は。
クラスがはじまってからも息子の様子を、ガラス張りの部屋の外からながめていたけれど、ロボットをつくっている間、彼は一度もこちらを見ることなく、夢中でロボットをつくっていた。
1時間たって、「パパ!ママ!みて!!!」キラキラした笑顔の息子が完成したワニのロボットをもってやってきた。
「ここに手をいれてみて」
言われるままにワニの口の中に指をいれると、ワニの口が動いて手をかまれてしまった。
「うわぁ!」びっくりするわたしたちを見た息子は、「すごいでしょ!いたかった?」と得意満面。
事細かに、つくったワニのロボットについて教えてくれて、ちがうロボットつくりたい!と言っていた。
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先日、4歳の息子と一緒に「ロボット教室」に行って感じたのは、比較も評価もされず自己表現できることの幸せ。
そして、そういう場所がこどもにとってもそんなに多くはないということだった。
教室にはいってすぐ目に入ったオープンスペースでは小学生のこどもたちがクラスがはじまるのをまっていた。
イスに座っている子もいれば、土管に登っている子、ねっころがっている子。
本を読んでいる子もいれば、ブロックをやっている子もゲームをやっている子もいる。
THE自由といった感じで、それぞれが好きなように過ごしている。
先生たちもそれぞれがリラックスしたそれぞれに個性のある服装で、誰が先生で生徒かもあいまいだ。(先生と生徒もお互いに名前やニックネームで呼びあっている)
ここでは静かにしなくちゃいけないわけでも、お行儀よくしなければいけないわけでもない、そんな雰囲気を息子は一瞬で理解していた。
クラスがはじまっても、子どもたちはそれぞれの作品を、それぞれのペースで、これまた自由な体勢でつくっていた。
と書くとなんかすごくゆるやかなイメージなんだけど、実際の子どもたちは90分間ものすごく真剣な表情で集中して自分の作品をつくっていたのだ。
10人前後の子どもたち、つくっているものはひとりひとり違う。大まかなプログラムはありつつ、ひとりひとりの子どもに合わせてその子がやりたいこと、作りたいものをつくれるように個別に調整がされている。
うまいへたではなく、「自分のつくりたいもの」を形にする。そこに比較も評価も起こらないのだ。(他の子に刺激は受けるけど)
小さな子どもたちは、大人のスケジュールに合わせて生活をしている。
大人の仕事の時間に合わせて起こされて、朝食を食べ登園し、園の予定に合わせて遊んだり食べたり寝たりして、家に帰ってきてもご飯→お風呂→早く寝なさい!といった調子で。
子どもたちが自由に過ごせる時間、なにかに没頭できるまとまった時間というのはあまりないからこそ、子どもたちにとってこんな風に過ごせる場所はとても貴重で楽しいのだろうなぁ。
と同時に、キラキラ目を輝かせている息子をみながら親であるわたしたち大人もこんな時間をつくっていけたらいいなと思う。
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