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私がずっと感じていた孤独の話。

昨日のコルクラボは、5月に発売予定のサディ(@sadycork )の本、「We are lonely, but not alone」の読書会だった。

年末に1番最初の原稿(今となってはまったく別物になっているやつ)、年があけてからはサディがnoteで書いていた原稿を読み、改めてゲラを読むという風に本になるまでにこんな風に内容が変わっていくのだなぁというのが見れてとても面白かった。

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年末に1番最初の原稿を読んだ時、小さい頃からあった心のモヤモヤの正体らしきものがみえた。

それが「孤独」だった。

教室で興味のない芸能人の話題が盛り上がってるとき、それに合わせてとりあえず相槌を打っているような時間は退屈でたまらなかったし、大好きだった本の話ができるような友達はみつからなかった。

かといって興味ないと言ってその輪から外れることもこわくて。そんな自分はつまらないなぁと思っていた。

学級委員をやったり表彰されたり、周りから見ると私はひとりではなかっただろうと思うけれど、気持ちはひとりぼっちだった。

サディの孤独の話は、最初の原稿から少し形を変えて、本の「はじめに」の部分にも残っているのだけど、私はそれを読んで、学校という場所や会社という場所で感じていた、私のほんとに話したい話はできなくて、周りに合わせ、ここが自分のいる場所ではないような感覚が、孤独だったのかもしれないと初めて気がついたのだ。

それはちょっとした衝撃だった。

同時に「そうかわたしは孤独だったのか」と理解したことでなにかスッキリしたような気持ちにもなったし、そういう風に孤独を感じていたのは私だけじゃないんだと気持ちが楽になったような部分もある。

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そういう意味で、中高大と私が「バスケおたく」「歩く月バス」と言われるくらいバスケットボールにハマったのはバスケのスポーツとしての魅力はもちろんあるのだけれど、バスケという共通のテーマによって話したい話ができる仲間ができて、学校に居場所ができていったからなのかもしれない。

でも就職活動を始めた頃、そろそろバスケ業界の外に出ようと思った。
バスケ業界の中にいれば居場所はあったけれど、その頃には高校も大学も有名になってきていて、出身校を言えばすごい人扱いされて実際の自分とのギャップがどんどん開いていくような感覚がなんとなくこわかったし、就職活動で出会った他大学の友人たちは今までの人生で出会ったことがないタイプの人が多くて、自分がとても狭い世界にいることに気付かされたからだ。

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バスケの世界を出て、会社で働くようになったらまた孤独を感じるようになっていたのだけど、最近ようやくその孤独がだいぶやわらいできている。それは「自己理解」が深まってきたからかもな、と読書会で話していて思った。

自己理解が深まっていくと、例えば、私はこれが好きだなやりたいな、ということと、これは嫌いだなやりたくないな、ということが自分でよくわかってくる。

わかってくると、やりたいことはやりたいし、やりたくないことはやりたくないから、少しづつそういう振る舞いになっていく。Twitterなんかは、普段考えていることや興味関心がダダ漏れで。

それによって周りからも、こういうことが好きな人と認知されたり、認知されることでその好きなことについて語り合える仲間が見つかったりする。

そうすると「わかってもらえてる」と思えたり、「わたしでいられる」と感じられる時間が増えてきて、そういう相手や場所も増えてくる。

みたいなことが起こるのかもしれない。

ひとりじゃない、って感じるためにまず自分をハグしてあげる、みたいな感覚なのかもしれないなぁ。

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