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星をかすめる風

一人の人物が大きく描かれ、はっきりと人物を特定しないようなタッチで、輪郭をあいまいにし抽象的な人物。
名前は?どこの国の人間なのか?
 見る人によって、怒り、哀しみ、諦め、決意。さまざまに感じる表情にし、また、芝居を見終わった後には、また違う表情に見えるデザインです。

青年劇場第131回公演
『星をかすめる風』が
紀伊國屋サザンシアターにて9/8〜9/17に上演されます。

第二次世界大戦、終戦間際に
福岡の刑務所を舞台に
韓国の国民的な詩人として知られる尹東柱(ユンドンジュ)と
彼を取り巻く人々や治安維持法が蔓延するこの国のお話しです。

国籍も違えば、立場も違う。
そんな2人が『詩』を通して心が通じ合っていく、変化してゆく。
戦禍の牢獄で、彼らが何を感じてどんな葛藤を抱えて生きていたのか。

テレビやSNSの向こう側では
ウクライナで戦争が起きている。
でも、そんなこと対してどこか遠いような感覚を抱いている僕がいま存在していて、
何が真実で、何が事実なのか。

私事ですが、最近同い年の韓国人のチーくんという友達ができたんです。
この年になると純粋に友達ができることが少ないし、心が通じ合う事って少なくなるなって思うんです。
でも、何故か彼とは心が通じ合ったような気がしていて、僕自身彼と出会ったことがかけがいのない繋がりだと感じています。
彼と尹東柱の話をしたのですけど、尹東柱を知らない韓国人なんていないよって言われたし、尹東柱を知ってるなんて常識だよって言われて自分の世界の狭さを痛感しました。
でも、彼との出会いは僕の世界を広げてくれた。勝手だが、彼にはこのお芝居を是非見てほしいって思います。彼がこのお芝居を見て、どう感じるのか?それが僕には凄く気になるから。

この物語はフィクションだが
決して綺麗事だけでは片付けずに過去の人間が犯した過ちに対して僕たち青年劇場が真実を追求してゆく。
青年劇場が掲げている
『現代変革を目指すリアリズム演劇』
という根底の魂を、僕はこの作品の中から感じました。

『平和を願うそんな気持ちは平和を知らない人から
生まれる感情であって平和の中で暮らしてるわたしには平和を願う気持ちがわからないんです
しかし平和に気づかないほど毎日は平和で
平和をなんとなく繋いだつもりで
いつかその平和とやらを誰かが破くのでしょうか』

敬愛するG-FREAK FACTORYのダディ・ダーリンが僕の頭をよぎった。

こんなにも効率化が重視される時代に、
なんで演劇やってんだろう。しかも劇団になんか入ったんだろう。
4日に1回くらい思うんですよ。
20代前半の時に
僕が2.5次元と呼ばれる商業演劇の世界を経験して、圧倒的な挫折や絶望を感じて演劇を辞めた。
でも、心のどこかで演劇をすること、演劇が離れなくて、
演劇をする意味とか意義がなんなのかとか、なんで数ある芸術の中で演劇なんだ?自分がこの社会に対して演劇を通して何を届けられるのだろうかってずっと考えてて、
そんな時、青年劇場と出会って、
青年劇場が目指すところに心を打たれて、
僕はいまはこの場所で生きていこうと思っている。


ただ純粋に1人の人間としてこの作品が多くの人に届いて欲しいって思ってます。

演劇は非力だが、無力ではない。
僕は、そう信じていま生きています。

最後に尹東柱の詩を1つここに載せて終わろうと思います。


風が吹いて 尹東柱


風がどこから吹いてきて
どこへ吹かれていくのか。

風が吹いているが
わたしの苦しみには理由がない。
わたしの苦しみには理由がないのか。

ただひとりの女を愛したこともない。
時代を悲しんだこともない。

風がしきりに吹いているが
わたしの足は岩の上に立っている。

川の水が絶え間なく流れているが
わたしの足は丘の上に立っている。

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