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課題のお供だったはずの菅田将暉ANN

寝ようとしても寝れない夜は、あのケタケタした笑い声が聴きたくなる。
月曜深夜1時からベットの中で有線イヤフォンつけて、夢中になって耳を傾けていた。

高校生の頃、学校の課題がどうしても終わらなくって家族が寝静まった夜に、菅田将暉のオールナイトニッポンの存在を知った。
ずっと誰かが喋ってくれてるのが心地よくて、バックミュージック的な感じで流していた。

いつしかそれが毎週聴くようになって、
勉強の合間に聴こえてくる内容に笑わずにはいられなくって、
気付けば1時までには課題を終わらせて、ベットに潜り込んで菅田将暉ANNを聴くという習慣になっていた。
途中で寝落ちしちゃった時にはそれはそれはもうショックで、
生で聴くのと、火曜日にradikoで聞き直すのとでは、なんか違うものを聴いている感覚だった。

キングやクリーピー、仲野太賀などのゲストが来た時の掛け合いも好きだったが、
個人的には、スタッフに文句垂れながら1人で大暴れしている菅田将暉が好きだった。
そこにはもう、テレビで見る俳優・菅田将暉のイメージとはかけ離れた菅田将暉がいて、まさに「人間菅田将暉劇場」だったように思う。

トイレを詰まらせて27万払った話も、
餃子にニラ・ニンニク入れますかって聞かれたことあるかを延々と話してた回も、
共鳴者を執拗に募ってた回も、
「とはいえ」が口癖なとこも、
すぐに下ネタに走るとこも、
意味なんてゼロのジングルも、
定期的にスタッフ総替えしようとしてたのも、
なんやかんや言いつつも授賞式でリスナーの要求に応えてくれたのも、
低周波治療器で太ももを丸太にしようとしてたのも、
今思うとどれもくだらなくって、懐かしくって、
間違いなく当時の私の心の救いになっていたように思う。

ただの課題のお供のはずだったのに、
コロナの影響で高校生らしい高校生活が送れなかった私にとって、菅田将暉ANNは青春のひとつだった。

またラジオをやってほしいと思うけど、
あの時の思い出として取っといておきたい気持ちもある。



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