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2000分の1、おそらく人生最初で最後の奇跡

初めて参加した玉置のコンサートで、玉置から向かって最前列真正面という最強神席で玉置の歌を聴いて、人生が変わったという話。この一生に一度起こるかどうかも分からない奇跡を一部始終覚えておきたくて、自分の身に起きたこと、思ったことすべてを書き残すことにしました。記憶なんて、年月を重ねていくごとにどんどん薄れていってしまうから。未来の自分のために残します。

※この記事を公開するにあたり、万が一これを見た玉置ファンの皆様に怒られたらいやなので事前にお断りを入れますが、私が「玉置」と呼び捨てにしているのは、決して彼への敬意・礼儀を欠く意図ではありません。
自分の頭の中ではずっと「玉置」と呼び続けており、もはや私にとっては愛称という認識になっています。自分の記憶と気持ちをできる限り正確に書き残すことを目的とした記事のため、呼び方を改める等の配慮はしませんし、また曲目も含め公演での詳細な出来事をつづっておりネタバレにも配慮しておりません。以上をご理解・ご承知の上ご閲覧頂けると助かります。

■今年の2月に、安全地帯・玉置浩二ファンクラブ「Cherry」に入会した。

「落選…だと……」

去年、一般先行で申し込んだ玉置の公演チケットが落選したからだ。申し込んだときは、「ちょっと行ってみるか~」という気軽な気持ちで申し込んだが、いざ落選となるとムキになってしまった。半ばヤケになりながら入会、今年は安全地帯40周年+玉置ソロ35周年になるので、きっと安全地帯での記念ライブなどあるのではないか?という期待もあった。
予想は的中、安全地帯での40周年コンサート開催予定との配信メールが届いたが、その時点では詳しい日程が未発表の状態だった。そのまま5月を迎え、安全地帯コンサートの情報よりも先に、玉置ソロツアーの日程とFC先行抽選の発表がされた。本命としては安全地帯のほうに行きたいという気持ちだったが、日程や会場・抽選結果によっては行けない可能性もあるな……と、半ば保険のようなつもりでソロツアーのチケットを申し込んだ。
抽選結果は、当選。まぁファンクラブ入ったらだいたい当たるだろうって思っていた。岡村ちゃんのDATEも毎回FC先行で確保できているし……。そうして私はかねてより抱いていた「一度でいいから玉置に会いたい、直に歌を聴きたい」という念願を叶えるための切符を手にしたわけである。
10月5日、高崎芸術劇場で玉置に本当に会えるのかぁ……という喜びつつも実感がわかない、なんだかフワフワした日々を過ごした。

■9月25日になり、チケット発券開始日。
ぴあでのチケット発券手順が分からず、とりあえずオンラインでログインすると、席番のようなものが表示されていた。
「ん????んんんんんん?????」
何度も言うがぴあでのチケット購入が初めてだったためシステムが全く分からない。席番のようだが、もしかしたら違うかもしれない。何度も目をこすりながら凝視したが、やっぱり手元にチケットがなければ信用できない。その後、すぐにコンビニに行きチケットを発券して、席番が事実であったことを認めた。

その時の私のツイート

意味が……意味がわからない……岡村ちゃんのDATEだって、もう7、8回はFC先行で買っているけど、よくて12列目くらいまでで、1列目なんてとてもじゃないけどなったことはない。大学生のころから、様々なミュージシャンや大好きなバンドのライブに足しげく参加していたが、そんな人生でも一度も一列目の席に座れたことなんてなかった。
「キィィエエエエエエエエエエエエエ!!!!!」という魔鳥のごとき雄叫びを上げ、旦那と息子の前で狂い散らかす私。会場の座席表とも何度も照らし合わせて、自分の席の位置を確認した。

一列目31番……真ん中より少し右に寄った位置。端のブロックでもなく、ちゃんと中央のブロックに私の座席があった。
気が動転してしまうと同時に、「どんな格好をしていけばいいんだ?!?!」という不安に駆られる。いや、浮かれた気持ちも半分で、公演当日までの10日間で、洋服とコスメをすべて新調した。
子供を妊娠し、産んでから5年、その間まともにおしゃれをしていなかった。お金を節約したいし、化粧もめんどくさいので休日はすっぴんで出歩き、仕事へ行くにもキャンメイクの1000円以下のシャドウのみで済ませ、Tシャツとパンツで出かける。本気でおしゃれをして出かける機会もほとんどなくなっていたし、ましてやコロナ禍、どこへ行ってもマスクだし、仕事飲食店で調理のためマスク必須。私はオシャレ心が完全に枯れ果てていた。
しかし……最前列……????最前列ということは、前に誰一人の観客も挟まず玉置を観ることになる。目の前に何の遮りもない状態で観……る……となると、いつもと同じテキトーなメイクと服装では絶対に行きたくなかった。「別に見られるわけじゃないんだから」と旦那にバカにされたが、玉置に見られる云々とかじゃなく、たとえどんなに観客席が暗くなろうが、私が大勢のうちの一人に過ぎなかろうが、身だしなみに手を抜くのは彼に失礼な気がした。これは私自身の姿勢の問題だ。玉置のコンサートの最前列に座らせてもらえることへの感謝と、そこで彼の歌を聴かせてもらうということに対して、私にできうる最大の敬意を表さねばならないと思った。

コンパクトの可愛さに一目ぼれしたZEESEAのパレット
注文した当日に届くのだから今回は本当にAmazonに感謝した

子供を産む前から持っていたリップはコロナ禍でいよいよ使わなくなり、とっくに捨て、この5年くらいはリップを所持していなかった。しかし、たとえマスクの下であっても手を抜けない……と、アイシャドウとブラシだけでなく新しいリップまで購入した。夜は冷えると思い、羽織れるものでまともなものがなかったのでカーディガンと、ついでにネックレスも好みのものがセールだったので購入した。

カーディガンとお揃いの落ち着いたオレンジ系。秋色ファッションが好き

衣装ダンスを開けて、実際に全身鏡で服を合わせたのは、いったい何年ぶりだろうか……。たぶん旦那と結婚する以前のデートの時が一番直近の記憶です……。あのころは20代、久しぶりに開けた衣装ダンスにはフリフリのショートパンツやミニスカートばかりが発掘された。
着 れ る か こ ん な も ん ! ! ! とそれらをゴミ袋にぶち込んだ……。
そんなこんなで、当日に着ていく服とメイクグッズをたった10日のうちに急遽そろえたわけだ。先月64歳になった玉置……自分の親とほぼ同年齢のおじいさんの歌を聴きに行くためだけに、こんな短期間で女子力を呼び起こし爆上げしてる自分に草……だけどそれだけワクワク、ドキドキすることが起きるのが本当に久しぶりのことだったのだ。
チケットを手にして以降、仕事でも家事でもなんにでも、私の中に余裕が生まれた。慌てたり、落ち込んだり、普段なら神経質になってつらくなってしまうようなことも、何も気にならなくなっていた。「日常がどんなであろうと、仕事や家事でどんなに疲れようとも平気。だって私は玉置を最前列で観れるんだ」それだけで、世界が違って見えた。暗くどんよりとした毎日にひとつの大きな光が差したような、そんな気持ちだった。

■10月5日、いよいよ公演当日となった。
前日は緊張のせいかなかなか寝付けなかった。

そう言い残し就寝……

出発の2時間まえから身支度、自分でできうる最大限の「おしゃれ」をし、会場へ向かう……天気はあいにくの雨で10月にしては寒すぎる気温だったが、駅まで送ってくれた姉の車の窓を曇らせてしまうほど私はすでに興奮状態だった……。無事に会場に着いたのが会場直後の17時すぎ。席へ着く前にグッズを買おうと物販列に並び、ずっと欲しいと思っていたチェリーちゃんマスコットを購入した。トイレへ行った後、自分の座席へ着席するが、実際に座ってみると本当に近い……ていうか……
オーケストラはどこに????
↑ここで最大の勘違いに気づく私。なぜだか私は、着席の寸前までこのコンサートがシンフォニックコンサートであると勘違いしていたのである。シンフォニックコンサートは、玉置の後ろにたくさんのオーケストラが囲み、大きなステージでパフォーマンスをする。だから、席に着いてまず私が驚いたのが「ステージが思っていたよりずっと小さく、思っていた以上にステージとの距離が短い」ということ。

開演前から気が気でなく、席に座っていられなくて立ち上がり、もう一度トイレへ駆け込んだ……5分ほど前に入ったばかりのトイレに……。そしてやっと覚悟を決めて席へ着く。この30分間、あまりにも落ち着かず、周りをキョロキョロしたり、急に固まったりしていた。なんだか、私がこんな最前列にいていいのだろうか……という気持ちでいたたまれなかった。同時に、あまりにも近すぎるという現実が受け止められず、この公演自体が何かの間違いで、これは実は玉置のコンサートではないのではないか???といった疑問が浮かんだりして、頭が錯乱していた。


このステージの、真ん中に立って歌う玉置を、私はこれから見ることになるんだろうか……

この31番席からでもかなり近いのに、ステージ真ん中に位置する席に座った人はこの会場で一番近くで正面から玉置をみることになるのかぁ……

どんな気持ちなんだろうなぁ……最前列のど真ん中……

とか考えていた。

そんなことを、考えていたのだ。

■18:00、ついに開演。
ついに玉置がステージに……!!!と構えたものの、なぜか大きなスクリーンが下りてきて、「あこがれ」のイントロとともに映像が流れ始める。映像は、玉置が30代半ばのころに、お父さんである一志さんと一緒に宗谷岬から旭川までを歩いた時の映像。てっきり玉置がやってくると思って気構えていた気持ちが一気に和んでしまい、「我々は一体なにを見せられているんだ……www」という気持ちで少し笑ってしまったのだが、見ていくうちにこの映像の中の一志さんが64歳ということが分かり、「そうか、今の玉置がこの時のお父さんと同じ年齢になったんだな……」と、映像を流した意図を何となく読み取ってしみじみとした。少しリラックスもできていたように思う。

しかし、その小さなリラックスもつかの間、私はとんでもない事態に動転することになる。

映像が終わり、スクリーンが上がるとともにステージ右側からついに玉置がやってきたのだった。
マイクを持った玉置は、まっすぐ私の前に歩いてきて、通り過ぎステージの真ん中………真ん中に……と思っていたが、

なぜか私の目の前に立ち止まる。 

(……………??!?!?!?!?)
(……………………??????!?!?!)
 
私の目の前、ステージのふちに黒い四角い機材が置いてあって、その真ん中、まっすぐ延長線上にマイクスタンドをセットする玉置……
 
なぜ……???
なにが起こった……?????????


思い返せば確かに、開演前から何か私の真正面にマイクスタンドと、その後ろに飲み物の入った小さなペットボトルが何本か置かれていたのは確認していた。そして開演前から加湿器が何台か、すでにミストを充満させていた。
しかしそれを見たとき私は「ここは伴奏の方が立ってコーラスや演奏を入れるのかな」と思って疑わなかった……てっきり、玉置はステージの真ん中で歌うものだと思い込んでいた。まぁ、やけに楽器類が左側にあつまってるなとも思っていたが……それでも、あのマイクスタンドが玉置の使うものだとは……夢にも思っていなかった。

実際に玉置が立った場所

玉置は私の真正面に立ち、歌い始めた。

私は茫然と……自分の身に起きたことを理解できないまま、目をひん剥きながら玉置を凝視する。夢なのだろうか……??いまこの視界に起きていることがあまりにも人生で滅多にお目にかかることのできない光景で、自分の状況を一切信じられない。何が起きている……????
全身の血が暴れ狂うが、私は微動だに出来ない。体が硬直し、荒くなっていく息を必死に抑えようと筋肉がこわばる。汗が吹き出し、首をダラダラと流れ続けた。まさしく金縛りのように、動けないまま、玉置の姿を凝視する。何度も何度も、彼の位置を確認した。私の席の真正面に黒い機材、そしてそのぴったり真ん中に玉置のマイクスタンド、そこに立ってギターを弾きながら歌う玉置、玉置の、ちょうど後頭部からまっすぐ差してくるスポットライトの光……。
何度確認してみても、少しのずれがなく、私と玉置が真正面に向かい合っていた。

私が目に焼き付けた光景をスケッチしたもの

玉置が、どこを見ながら歌っているのか、どんな表情をしているのか、まばたきをする瞬間まですべてはっきりと肉眼で確認できた。おそらく、距離は3~4mほどだったように思う。衣装のボタンの数、ファスナーの位置、左手の、薬指で輝いてる結婚指輪、ギターの弦をもつ手の甲に浮いている血管まで、はっきりと……。
背後のスポットライトが強く玉置を照らすと、玉置の肩のあたりを舞っている細かいホコリの粒子まで見える瞬間もあった。
まさに、玉置から後光が差していて、仏のような穏やかな表情で、玉置は歌っていた。

また、時々、強烈なスポットライトが真後ろから照らすと、眩しくて玉置の顔が完全に影になり、何も見えなくなった。

ステージ奥のスポットライトと玉置の頭が私の目線から見て一直線に位置していた

これは皆既日食と同じ現象だ……太陽と月と地球が一直線になり、地球から見た月が真っ黒になる。その現象は、忘れられないくらい強烈に目に焼き付いている。


■はじめの何曲かは、そんな様子で、私はずっと体を硬直させて少しも動けず、ただダラダラと汗を流しながら目を大きく開けて玉置の姿を目に焼き付けていた。あまりのことに気が動転していて、ゆったりと歌に聞き入るとかそういう状態には全くなれていなかった。とにかく汗が止まらなかった。少しも動いていないのに……。

そして、何曲か歌い、玉置はある曲を歌い始める。それは、玉置の小さな歌いだしから始まる曲だ。
「それでも、ここから歩こう きっと何かが変わる……」
その瞬間、大きな大きな風のように流れ込んでくるギターのイントロに、私は一気にこみあげ、あふれだす。緊張で抑え込んでいた感情が、みるみるうちに決壊し、涙となってボロボロと流れ出る。

(……『Lion』だ……)

「ああ、これを聴くために、私はここまで来たんだ」と思った。
私が一番、玉置から直接聴きたかった曲だった。

昨年の6月末、眼科で緑内障と診断され、治すことができない目の病気であり、視野の欠損が将来的に進むこと、将来への不安、大好きな創作がいずれできなくなるだろうという恐怖、これからどうやって生きていけばいいのだろうという、人生への疑問……そんなもので心が埋め尽くされ、何も手につかず、ただ毎日泣いていた時、この『Lion』という曲が私の心に寄り添い、一緒に悩んでくれた。人生への虚無感、自分が何かを残せる時間があまりにも短いと落ち込む私に、「それでもここから歩こう、足跡は残るさ」と手を差し伸べてくれた。何度も聴いては、生きる力、前に進もうとする気持ちをこの曲からもらい、今の私は生きている。

そんな『Lion』を、目の前で、しかも何の隔たりもない真正面で玉置が歌っている。涙はとめどなく流れた。玉置は色々な方向を見ながら、『Lion』を歌っていたが、泣いている私の顔に気づくようにこちらへ視線を向けた。ほんの数秒だった……玉置は慈愛に溢れた、温かい瞳で私を見てくれた。私はもう、それだけで、玉置への感情が全て報われたような気持ちになれた。私から見て、玉置の表情の一つ一つがはっきり分かるということは、玉置からも私の涙がはっきり分かったに違いない……私の涙は、玉置への感謝の結晶だった。感染対策などもあって、曲の合間であっても声援は控えるという状況のなか、涙というかたちで玉置に「ありがとう」を伝えることができたと思った。もう何も思い残すことは無いと思った。だから、玉置のコンサートへ行くのはこれが最初で最後でいい、とさえ思った。

その後数曲歌ったのち、20分ほどの休憩。私はやはりその席に留まっていることができず、トイレのほうへ向かった。この時も、ずっと動悸がしていて、前のめりに、フラフラしながら、はぁーっ、はぁーっと深い呼吸を繰り返しながら階段を上がった。やっとの思いでトイレを済ませ、席へ戻る……胸を手で押さえながら、深呼吸をし、座り込んで放心していた。
それでも少しずつ冷静になれてきた自分がいて、「ガチおしゃれキメて来て本当に良かった……」という安堵も沸いていた。玉置の真正面、最前列に自分が立つなんて……。マスクをしての観覧とはいえ、気の抜いた格好で来ていたらきっと後悔と恥ずかしさでコンサートに集中できていなかっただろう……。出発前にシャワーを浴び、数年ぶりのフルメイク、めったに使わないドライヤーで丁寧に髪をセットし、アクセサリーまで身に着けたのだ……。一瞬でも玉置の視界に自分が入ったのだ……それが、全力でおしゃれをしてきた今の私で本当に良かった……と、ほっとしていた。

■公演後半開始となり、玉置が再び私の目の前に立って歌い始める。
『CAFE JAPAN』のイントロが始まると、周囲の席の観客たちが一斉に立ち上がったので、「あっ、立っていいんだ……!?!?」とキョロキョロしながら私も遅れて立ち上がり、手拍子を合わせた。

立つと余計に玉置が近い!!!!

玉置のひざ下を隠していた黒い機材も、私が立ち上がったことで邪魔にならなくなり、玉置の足元まで完全に見ることができた。 
後半の衣装は、ブルーグレーのようなファスナー式ロングコートで、首元から胸の下あたりまでが2つの留め具で閉まっており、袖口にはボタンが3つついていた。そんなところまでよく見えたのだから、本当に自分の目の前にいる玉置の解像度が高すぎて、まるでいつも画面で見ている光景がそのまま飛び出してきたかのような錯覚を感じたほどだった。
手指の一本一本までしっかり判別できる。若いころの玉置の、指がすごくきれいで大好きなのだが、64歳になった今の玉置の指もすごくきれいだな、と思った。
玉置がマイクを離して小さくフェイクやスキャットをする場面でも、玉置の肉声がしっかりと聞こえてきた。逆に、『メロディー』の終盤などでマイクを通さず歌声を届ける場面では、玉置の歌声がホールの壁に反響し、余韻の音となってワァァンと鳴るのがはっきりと分かった。見ている角度・位置が完璧すぎて画面がそのまま飛び出したようだと言ったが、肉眼で見ている玉置は映像ではなく、確かにそこにいたのであり、マイクが拾わない小さな囁きや余韻の響きは、モニター越しやスピーカー越しでは絶対に分からない、私があの場所にいるからこそ味わえるものだった。

■最後に、玉置が歌った曲をリストで書きとめておく。歌った順番は正確には覚えていないが、曲のリストはこの17曲で間違いないかと思う。

アンコールは無かったが、おそらく玉置が9月上旬にコロナ陽性となり、2公演がキャンセルとなったこともあり、療養明けでの体調面での配慮だったのかもしれない。軽症とはいえ玉置がコロナに……と知ったときはすごく慌てたし、ものすごく心配で落ち込んでしまうくらいだった。なので、何が何でも今回の公演では玉置の元気な姿を見たかったし、私が目にした玉置は、変わらず元気な姿であったし、療養後とは思えないほどパワフルなパフォーマンスを見せてくれた。 
一曲一曲歌い上げるごとに、玉置は演奏メンバーのほうへ右手を差し出し、観客の視線を左側のメンバーへと促していたのが、印象的だった。メンバーへの敬意があふれているように思えた。
ちょっとふざけたみたいに笑ってリズムに乗っているときとか、本当に楽しそうで、歌うのが楽しそうで、玉置ってこういう人なんだよなぁ、って実感できたのが幸せだった。

■終演後、時計を見れば20:00。あっというまの2時間だった……。
私は放心状態で、駅へ向かい、電車を待った。ずっと、動悸と震えが止まらなかった……。
電車を降り、駅まで姉が車で迎えに来てくれた。助手席のドアを開けると、後ろには母と息子も乗っていた。助手席に乗るなり私は泣き崩れ、私の身に起こった奇跡の一部始終を話した。家に帰って、お風呂に入るまで、ずっと気管が絞まるような痛みで動悸がしているような状態だった。

あの、10月5日の高崎芸術劇場公演において、最前列で、なおかつ玉置の真正面に位置する席はたったひとつだ。たった1席でもずれていれば、それは叶わない。大劇場、満席の2000人があの場にいて、その中のたった一人が、私であったこと……。
もちろん、他のどこの席にいたってコンサートは楽しめたに違いない。だけど、私にとっては、やはり最前列でミュージシャンの真正面という最高の神席はライブ参加をするようになってからずっと憧れていた場所であり、そこに座るということがいかに「起こりえない確率」であるか……。何度も言うが、今まで様々なライブ・コンサートに参加して、最前列にすらなったことは無かったのだ。それを、初めて参加した玉置のコンサートで叶ってしまったこと……人生最大の奇跡といわずして何といえようか……。

玉置の歌を、真正面からモロに浴びて、まさに「洗礼」を受けたかのように、私の人生観が変わってしまった。
今まで、小さなことにもくよくよしてきた。すぐ落ち込んだり、イライラした。「人生クソ」なんてぼやきながら、自分自身すら認めてあげられない、思い通りにいかない人生を恨むような日々……。
でも、これからは、どんなことがあっても「些細な事」とおおらかに受け流し、気楽に生きていけたらいい……そう思った。

だから、絶対にあの2時間を忘れたくない。この気持ちをずっと抱えて、死ぬまで大事にしていきたい。
だから、あの時の私の気持ち、私に起こったことの一部始終を、すべて文章にして書き残した。
『Lion』の歌詞のように、私の中で「きっと何かが変わる」……
そのきっかけは、あの高崎芸術劇場での2時間だと、そう信じている。


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