シェイプ・オブ・ウォーターの感想をネタバレしつつ

アカデミー賞で作品賞を受賞したシェイプ・オブ・ウォーターについて思うところを書きます。

この映画はメキシコからの移民であるギレルモ・デル・トロ監督がマイノリティのために撮った映画のように思えます。

彼は子どもの頃からいわゆるオタクで、周りとなじめない体験をしたそうです。そのなかで映画に出てくる怪獣は、彼にとっては守護聖人のように思えたと語っています。

彼自身がそのような境遇で育ったうえに、政治的にもトランプが大統領になってからはますますメキシコ系移民のコミュニティが危機的な状況に立たされていると言えるでしょう。

当然この映画は、喋ることができない女性と両生類のすてきなロマンスというだけでなく、政治的なメッセージが込められているものだというわけです。

この映画の舞台は冷戦期ですが、それは冷戦のことを描きたかったというわけではありません。トランプが偉大なアメリカを取り戻すということを言っている時の偉大なアメリカがこの時代のアメリカだと言うわけで、現代とのリンクがあるのです。つまりこの映画は現代についての映画だということです。

手短にするために主要な登場人物であるイライザとストリックランドだけを、どのような設定になっているのか見ていきます。

・イライザ

喋ることができない女性、夜勤で清掃員をしています。

まずこの喋ることができないというのは、文字通り声を上げることができない立場の人間ということの象徴になります。この場合の「声」は「意見」という意味合いで使われますので、この当時のアメリカにおける女性・有色人種・同性愛者など、マイノリティの代表ということになります。

加えて、これは人魚姫がモチーフになっている作品なので、脚を得た代わりに声を犠牲にした童話の主人公と重ねたという意味もあると思います。最後に彼女にエラのようなものが生まれたのは、彼女がもともと人魚であったからです。靴が片方脱げたのは、靴が人間となった証を表すとすれば、イライザが片方が人間、片方が魚の人魚に戻ったということかと思ってます。

彼女が映画館の上に住んだのは、映画館が大好きだからです。映画館はだれも喋らない場所でしかもほとんど暗闇なので、声を出せなくてもいいし首に傷があっても誰にも見られない場所だったのです。おそらくデル・トロ監督も同様に、映画館が逃避、安息の場所になっていたのかもしれません。

・ストリックランド

モンスターを拷問する男。おそらく「偉大なアメリカ」の象徴です。

家、車、テレビ、豊かなアメリカをイメージさせるキャラクターです。

しかし、セックスの時に妻の口を塞いだり、イライザにお前は声が出ないから好きだというようなことを言います。

これはアメリカの男権主義、家父長的な一面を象徴的に表しています。

あとトイレにいったとき、2回手を洗う男は軟弱だと述べますが、これも同様です。その前のシーンに男子トイレを使っている男たちが尿を天井までかけていることをイライザの同僚であるゼルダが愚痴っていますが、これは冷戦期における宇宙戦略を表現しているのだと思います。

ソ連との競争において宇宙というのは重要な舞台でした。自分たちの力を誇示するために宇宙戦略が進められました。宇宙といえば上にうちあげるイメージです。これが競争や権力、見栄の象徴になっていると感じました。

さらにこの対象的なイメージとして出てくるのが、水中です。水中はモンスターとイライザのための舞台です。水中や海中というのは下へ潜るイメージがあります。また、水の中というのは無限を感じさせます。デル・トロ監督は想像力というものを重要視しているのだろうと思います。パンズ・ラビリンスやこの映画におけるイライザのミュージカル妄想シーンを見ればわかります。

宇宙と相対するように、水中は無限の想像力や愛の象徴として描かれていると解釈しています。

ラストシーンには水の中で抱き合う二人とともに「あなたの姿がなくてもあなたの愛に包まれる(うろ覚え)」という趣旨のセリフが入ります。これは水、想像力、愛というこの映画における重要な要素をまとめたようなシーンです。先ほども述べたように、これらの要素は競争、権力、見栄の対照的なイメージとして用いられています。

デル・トロ監督は、強いアメリカを志向し、マイノリティを排斥し、国境線を深めようとする現代のアメリカに対して、愛と想像力を語ることで対抗したのだと思います。

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スリーピン

Only Sitting

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