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誰も声を上げなくなるとコミュニティは死んでいく

世間がプロゲーマーを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私はプロゲーマーではなかったから

ゲーミングチームの代表が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私はメンバーの一人ではなかったから

彼らが特定のジャンルのゲーマーを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私はそのジャンルをプレイしていなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

最初に紹介した文章は、反ナチス運動を組織していたマルティン・ニーメラー氏の言葉に由来すると言われています。
原文と翻訳文は以下になります。

Als die Nazis die Kommunisten holten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Kommunist.
Als sie die Sozialdemokraten einsperrten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Sozialdemokrat.
Als sie die Gewerkschafter holten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Gewerkschafter.
Als sie mich holten, gab es keinen mehr, der protestieren konnte.
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

この世の中には「言わないと伝わらない」ということは山ほどあります。
それと共に、「言っても伝わらない」ことも山ほどあります。

ではどうすれば良いのかというと「何度も何度も自分の意見を出す」しかないのです。

「声の出ないコミュニティ」は消えていく

とあるマイナースポーツの話をさせてください。

私は昔、パルクール(フリーランニング)と呼ばれるスポーツをやっていました。

大学生のころなので、今から8年くらい前のことです。

今では一部、市民権を取り戻しつつあるパルクールですが、私が始めた当初は全くと言って良いほど知名度も市民権はありませんでした。

パルクールを知らない人に説明をすると、パルクールは走る・跳ぶ・登るなど人間が日常生活の中で「移動」として行うことを、さらに最適化させようという趣旨のスポーツです。

他者と競うような競技などではなく、あくまでも自己の身体と精神を鍛えるためのスポーツです。

YouTubeなどで動画を見てもらえれば分かりますが、一言で言うと「ジャパニーズNINJA」です。

今ではパルクールの練習が出来る専用施設が出来ていますが、当時はそんなものは存在せず、公園や広場などで日時をそろえて何人かで練習する、というのが主でした。

また、パルクールには講師の資格が存在しますが、当時は(日本人の中で)その資格を持っている人はおらず、みんな海外の動画を見ながら見様見真似で練習していました。
※やり始めて半年~1年くらいで一人、海外で資格を取得した人が居ました。

ある日突然、パルクールが禁止された

今思うと「そりゃそうだよな」と思うのですが、いつも練習しているエリアでパルクールが禁止されました。

明確に「これこれこういう理由で禁止」と言われた訳ではないですが、要約すると「危険だから禁止」ということでした。

しかし、実際禁止された理由は「危険だから」だけではありませんでした。

パルクールはその競技の特性上、手すりや壁などを利用します。つまり、壁や手すりなどに傷・汚れが付いてしまいます。

当時、一部のコミュニティメンバーからも声が出ていました。

「利用した手すりは雑巾等でしっかり綺麗にしよう」
「周りの人の迷惑にならないようにしよう」
「備品は丁寧に使おう」

とはいえ、当時のパルクールはコミュニティ自体が若いこともあり、明確な「リーダー」と呼ばれる人が存在しませんでした。

ある意味「無法地帯」でした。

挙がっていた声も、やがて聞こえなくなるようになっていき、結果、誰も備品を丁寧に使おうとせず、周りに人がいても止めない(むしろ見せびらかす)ような人たちが一部存在していました。

そして前述したように、正式にそのエリアにおけるパルクールの禁止令が出ました。

声を出し続けないとコミュニティが消える。声が出るうちが華

今になって思います。

もし、当時出ていた「もっとパルクールというコミュニティを大切にしよう」という意見を拾う人が多くいたら、もう少し違う未来があったのではないかなと思います。

私自身、足を8針縫う怪我をして以来、恐怖でパルクールが出来なくなり、引退をしました。
※こればっかりは自分の技術が未熟だっただけなので、完璧に自分が悪いです。

確かに、パルクールは危険性が伴うスポーツです。それを子供たちなどが見る前で練習することに対して、保護者の方などが危険性を感じるのは至極当然のことです。

今では、様々な人たちの努力の甲斐もあり、結果的に今ではパルクールは一部の市民権を得ており、大会なども日本で開かれています。

しかし、あの8年前、お台場海浜公園と横浜山下公園でパルクールが禁止される前、もっと声を拾っていたなら、違う過去があったのではないかなと思います。

小さいコミュニティというのは、すぐに潰れてしまいます。
そして、小さいコミュニティほど、「綺麗ごと」は無視されがちだと思います。

「もっとこうしようよ」「こっちのほうが良いんじゃないかな?」

そういう意見が出ているうちが華です。
そういう意見が出なくなったとき、無視され始めた時にそのコミュニティの崩壊が始まっています。

今のesports業界も同じで、「綺麗ごと」は無視されがちな傾向があるのかなと思います。

様々な企業が参入してきており、確実にコミュニティの場は広がっています。
が、それでも外部からみたらまだesportsって小さいコミュニティだと思うんです。

今現在、自分には2つの未来が見えています。

一つ目は「これだからゲームする人間は」と言われている未来。

二つ目は「ゲーマーってかっこいい!」と言われている未来。

どっちに転ぶのか、今がその分水嶺だと思っています。

自分としては胸を張って「esportsって楽しいんだぜ!」と言いたいですし、海外にも後れを取らず、もっと日本全国で流行って欲しいです。

そんなわけで、今日も声を上げ続けたいなと思います。
よろしくお願いいたします。

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