日常からお風呂が消える日(後編)

ボリビアのコチャバンバにおける水道事業の経営権が、SEMAPA(コチャバンバ市営水道局)からアメリカの大手建設会社・ベクテル社の子会社であるトゥナリ社に託されますが、同社は法外な水道料金を徴収。

これに不満を覚えた市民達は1999年10月12日にSEMAPA民営化反対集会を開き、この集会に市民委員会、労働組合、学生団体が参加。

この集会で「水と生命を守る連合(CDAV)」を結成します。

当時靴工場の労働者であり、且つコチャバンバ県工場労働者組合の代表でもあったオスカル・オリビエラを責任者に据え、CDAVの戦いが始まりました。

同年12月1日、CDAV結成後では初となる集会とデモを組織します。

CDAVは政府に対して2000年1月11日までに水道料金の値下げとトゥナリとの契約破棄などを要求。

これに応じない場合は幹線道路の封鎖と無期限ストライキを実施すると宣言しました。

その一方で、市民委員会は独自の動きを示し、CDAVの活動とは別に、1月11日、コチャバンバ市民に24時間ゼネストを呼びかけました。

ただ市民委員会は元々はトゥナリ社との契約に賛成の立場をとっており、急進派に押される形で反対運動を行っているという事情がありました。

2日後の1月13日、政府との交渉の場が用意されCDAVと市民委員会それぞれの代表が参加。

この場で政府は『水道料金検討委員会の設置』、『国家の利益に反する契約条項の見直し』、『契約には私有水源は含まれないことの明記』といった条件を提示しました。

しかし、CDAVの代表者達は『CDAVを支持している民衆達の意見を聞かなければ合意できない』として署名を拒否しました。

『トゥナリ社との契約を破棄し、水道事業を再公営化せよ!』

政治家に権力を与える主権者であるコチャバンバ市民はあくまでもこれの実現を強く求め、決して妥協はしないという意思を表明したのです。

CDAVは2月4日にコチャバンバ市の中央広場を占拠する事を予告、広く参加を呼び掛けます。

これに対してボリビア政府は『コチャバンバを占拠するために先住民が大挙して押し寄せる』と扇動、特殊部隊を同市に派遣します。

2月4日、市内各地で集会やデモが行われました。ボリビア政府はこれに対して妥協案を提示しつつ、その一方で警察や軍隊による集会・デモの排除を行います。

コチャバンバ市民達は反発しバリケードを築いて警察や軍隊と対峙。混乱は翌日まで続き市民側から70人、警察から51人の負傷者が出ました。また172人が逮捕されました。

2月5日、コチャバンバのカトリック教会の大司教などの仲介によってCDAV、市民委員会、政府関係者との間で水道料金を1999年10月時点の価格に“暫定的に”戻すという合意がなされました。

しかし、民営化完全撤回を目指すCDAVと民営化条項の修正で良しとする市民委員会との間で対立が深まります。

CDAVは市内150ヶ所に投票箱を置いて、独自に住民投票を実施。この投票は3月26に開票。

その結果は以下の通りです。

【水道料金値上げ反対】…99%

【トゥナリ社との契約破棄に賛成】…96%

その一方で市民委員会は3月24日に集会を開き、以下の条件でトゥナリ社との再契約を行う事を政府に要求する、と決議しました。

・2000年12月までの水道料金値上げの凍結

・その後は緩やかな値上げを認める

・コチャバンバ市と市民委員会の代表者が協議し、公平な水道料金体系を決める

・ミシクニ・プロジェクト(※1)での水路トンネルの完成について政府が保証する
(※1…灌漑用水および水道用水の確保を目的とする計画で、導水トンネル・導水管の整備およびダム・水力発電所の建設がこれに含まれています)

CDAVと市民委員会はそれぞれ4月4日にゼネストを行うよう呼び掛けました。この時、ボリビア政府は市民委員会以外とは交渉しない姿勢を明らかにしています。

そして4月4日の朝、CDAVおよびそれを支持する団体が各地で道路封鎖を実行。これはコチャバンバのみならずボリビア全土で行われました。

翌日の4月5日、CDAVの集会で24時間以内にトゥナリ社との契約を破棄するよう政府に求めるという提案がなされました。

しかし感情的になった参加者が即時破棄を要求してこの提案を否決します。

トゥナリ社を占拠すべきだと主張する参加者達は同社の事務所に向かって行進を開始。途中で市民委員会の事務所を襲撃、トゥナリ社の事務所に『人民の水』という看板を掲げるといった行動に出ます。

当時のCDAVの責任者であるオスカル・オリビエラによれば、CDAVは群集の暴力を抑えるよう尽力していたようです。

4月6日になってもデモや集会が続き、大司教の仲介によってCDAVの代表と政府閣僚、県幹部、市幹部、市民委員会代表等が出席する会議が行われますが結局、CDAVの代表者達はこの会議から排除されました。

そしてその夜、警察はCDAVの支持者達による占拠に対して強制排除を行い、CDAVの指導者達を拘束します。

4月7日未明、大司教の仲裁によりCDAVの指導者は釈放され40,000人近い群集は彼らを祝福して迎えました。

CDAVの支持者達はトゥナリ社が撤退するまで市の中央広場の占拠及び道路封鎖を継続すると決めました。これによって警察はCDAVの指導者達を再び逮捕し始めます。

4月8日、政府は一連の暴動を『麻薬ギャングに扇動されたもの』として軍を派遣します。

これに対してコチャバンバ市民は抵抗を激化させ、市庁舎を襲撃するなど暴動はゲリラ戦の様相を見せ始めました。更にこの時、17歳の少年が銃撃により命を落としました。

4月9日、暴動が収束しないとみた政府は遂に観念しCDAVとの話し合いに応じる事を受け入れます。

同日、ボリビア政府の代表とCDAV責任者のオスカル・オリビエラが会談。オリビエラはトゥナリ社との契約を白紙化する事を要求します。

その翌日の4月10日、CDAVと政府代表との間で協定書が交わされ以下の事項が明記されました。

・SEMAPAがコチャバンバの水供給に責任を持つこと

・SEMAPAの運営についてコチャバンバ市、CDAV、SEMAPAの労働組合からそれぞれ2名ずつ代表とした参加する暫定理事会を設置すること

・法律2029号の修正

その3日後に臨時国会が行われ、協定書を承認。更にトゥナリ社との契約解除を証明する書類が提示された事で、市民達は道路封鎖を解除しました。

一週間後、ボリビアのウゴ・バンセル大統領は戒厳令を解除し市民達に対して謝罪したのです。

如何でしたか?市民達の公共財を取り戻すというのはこれほどまでに大変な事なのです。

後で水道代を沢山取られて生活が苦しくなってから後悔しても遅い。

再公営化を求めても簡単には覆らない。それどころか血を見ないといけないかもしれない。

それでも、あなたは水道民営化に賛成しますか?

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