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【実家の介護未満】父の日と内観 2019.6.17

2023.9.12
父が亡くなってから、空にフカフカ雲が浮かんでいるのを見ると、なぜか父がそこに乗っているような気がして目が熱くなる。妹に言ったら「乗れるかな?」という。父は重い人だったから。
一年前に、死化粧をした母を納棺した時、そのご遺体の軽さに驚いたが、ついこの間、父のご遺体を納棺した時、今度はそのしっかりした重さに驚いた。男女の骨格の違いなのか、車椅子でも毎朝運動していたからなのか。。。
父はお風呂が大好きだった。納棺の日に、湯灌というのを頼んだ。ご遺体をお風呂に入れてくれるサービス。和室の部屋に、バスタブのようなものがあって、ご遺体が安置されている。2人がかりで、シャワーを使って石鹸で体を洗ってくれる、足を洗い、シャンプーも2度洗いしてくれる。
ご遺体をお湯で?と少々おぞましく思う方もいるかもしれない。私たちも母の時は希望しなかった。

しかし、父は最後に病院に入るまで、施設でも毎朝ポマードを使って髪に櫛を当てた。必ず衣替えをして、季節に一つ二つ新しい洋服を所望した。清潔が好きだった。頑固だけど自堕落にならなかった。
最後は1ヶ月くらい病院のベッドにいたから、納棺の前にお風呂に入れてもらって髪を整えてもらって、髭も剃ってもらって、ほんとによかったなと思う。
ほんとうに昼寝している父が気持ちよくお風呂に入れてもらっているようだった。私たちもシャンプーを手伝うことができた。父の頭に触れるのは初めてくらいだった。

下記はまだ父が実家に住んでいた頃の話。

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2019.6.17


父の日の回転寿司

妹の発案で実家の近くにできた回転寿司へ。
妹が家から父の車イスを押して行った。
家の中はゆっくり歩けるけれど、さすがに道を15分は難しいので。

父の日サービスでビール一杯無料だったそうだ!
流れて来るもの何でもとってしまう母を制しつつ、たいへんなのよーと妹。

わたしは一人遅れて到着したのだった。
なぜかと言えば駅から間違ったバスに乗ってしまったため。途中で気づいて降りて、また駅まで戻りタクシーでお寿司やさんへ直行。😂

お寿司は娘のおごり。
帰りは私が車イスを押した。
空にきれいな雲が浮かぶよい天気。

わたしは車イスを押したかった。
なぜかと言えば、
数日前に、父との思い出を洗いざらい思い出して書き記したからだった。

父についての内観


父のことを小さい頃からあまり好きでなかった。その後も嫌いになるエピソードがいくつかあった。

その一つ一つを咀嚼し再定義し、罪悪感とか怒りとか恨みを許して手放していくと、

父は愛情深く精一杯私と家族を守り育てて来てくれたということがはっきりとノートに示された。

また、諦めていたようで私はほんとうは父の愛情を求めていたことを実感し、
そして
どんなに嫌いで苦手でも私の父さんよっ!😭
っていう、よく有り体のドラマに出てくるやつがやっと理解できた気がした。

ぼんやり頭で思うのとは違う明確さがあった。

自分の本当の思いを感じたくないために、理屈でごまかして思い込んでいる。そんなことを思ってはいけないと自分の思いを禁じていると、その思いがコンクリートで固められたようにしこりとなって残り、視界を歪めてしまうのだとわかった。

思いは流動的なのだから、どんな思いも流れてよいはずなのに。

その事を知らなかった自分がいて、それを許すことができたのはとてもよかった。

今もアホ頑固親父などと思うけれど、それはそれとして
「このあいださ、パパとの思い出を全部書き出してみたら、パパはすごくいいパパだってことがわかったよ」
と、回転寿司を食べながら言った。

きもちわるー!と妹はいい、
父はもくもくとアイスクリームを食べ、
母はまったく意に介さず。

ありがとうが広がる

そのあと実家に帰って、特に何事もなくただだらだらして、掃除や夏物の出し入れなどをした。

変わったのは私の気持ちの軽さだけだったが、充分よい一日だった。父の日だから、というのでなく、心から感謝できたから。

そうなると、これまでの、なにもかも、誰も彼も所々コンクリートで固まっている訳のわからぬ私と付き合ってくれてありがとうという気持ちになる。いきなり風呂敷がひろがる癖である。

父の日にパパではないみなさんにもありがとう。


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