「知能」と「器」

某MENSA会員が
「IQが離れすぎると会話ができない」との話を、
統計学的に標準偏差が二つ違うと差異が生まれるため、
会話はできないと一点張りで通そうとしている。

そして、
「IQの高い方が低い方に合わせる」考え方に対して

その人物が高校数学がとても苦手で、おそらくσや簡単な統計処理のことを綺麗さっぱり忘れてしまったであろうことだけです。可哀想なのはそんな勉強不足を公言されてしまったその人の親と高校の先生です。きっと、穴があったら入りたい気持ちなのでは無いかとご心中お察しします。

某MENSA会員より

本を読みすぎると人間は怠惰な思考に陥り、
何も疑わなくなると、ある爺さんが言った。

そのテストの結果において差はあるかもしれないが、
そのテスト自体の意味を考えたことがあるのか?

数字が20離れようか、
標準偏差が2(数字で言うと30)離れようか、
テスト自体が妥当でなければ結果に意味はない。

もう一度言うよ。
何度でも言う。
「IQは何ですか?」

もし、
世の中にある「IQテスト」以外のことしか
・話せない
・考えたことがない
・考えられなければ
あなたの思考力、独創性、柔軟性は壊滅的です。

明日IQテストの測定項目が変わったら、
人間の知能は変わったってことかな?

また、
IQテストは訓練可能なため、
後天的な訓練というファクターを入れないと、
その結果に差があっても統計学的な意味はない。
これも統計学の基本のはず。


ほとんどの人間は永遠に考え続けられない。
どこかのタイミングで妥協する。

本熊が過去に出した様々なIQ関連記事に書いたIQテストの限界について、一度逃げずに考えてみてください。

自分にとって都合の良い事実ばかり見ているから、
視野が狭くなっている。

例えば、
そもそも、知能研究者と高知能信者は
「言語記憶力」「言語理解力」すら区別できていない。

言語理解力を測りたければ、
ユニークな言語を出して解読してもらうしかない。
こうすれば訓練も効かないし、
教育格差も関係ない。


目の前にある物事に対して

一般人は、
その物事を一生懸命に覚え、
二度と変化が起きないと祈る。

高知能信者は、
その物事を素早く覚え、
自分に有利な方向に使う。

賢者は、
その物事の限界が見えて、
問題を未然に防ぐ。


「できない」が言えるのは死ぬときのみだ。
「したくない」自由は当然ある。

諦めたら試合終了機会損失
これも基本的な統計学だ。

あなたは人と会話ができないのか、
それともしたくないのか?

自分の家族が高IQでなければどうする?
諦めるか?
切り捨てるか?

「知能」より「器」です。

お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻