アベトラ

カクヨムをメインに小説を発表しています。 こちらでは創作活動について考えたこと、短編小…

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カクヨムをメインに小説を発表しています。 こちらでは創作活動について考えたこと、短編小説などを書いていく予定です。 作品置場はこちらhttps://kakuyomu.jp/users/saavedra/works

最近の記事

差別は極悪人の専売特許ではない

先日、ある場所で「こんな差別的なことを言う奴は境界知能だ」という発言を見た。一行で矛盾しているのに気づかないのか、と思ったが、この発言を問題視している人は周りにはだれもいなかった。 この発言をした人はそれほど差別的な人ではない。上記の発言は差別そのものだと思うが、これを言った当人はネットで問題発言を繰り返す一団を批判している人で、どちらかといえば「正義」側の人だ。そういう人でも、平気でお前は境界知能だろうとか、アスペなんだろうとかレッテルを貼る。頭がよかろうが、定型発達者だ

    • 書評を「本の価値を自分より上に置く儀式」にしてはいけない

      こことは別の場所で、書評を五年くらい書いてきた。もちろん本が好きだからやってきたことだ。だが続けるうちに、しだいにモヤモヤが心の隅に堆積してきた。やりたいことをやっているはずなのに、どうして心が晴れないのか。 よくよく心の声に耳を澄ましていると、いつの間にか自分が「あなた自身の話にはだれも興味がないんですよ」という、ブログの書き方指南でよく聞くアドバイスを内面化してしまっていたことに気づいた。読者は無名なあなたのことなんてどうでもいいので、まず情報提供に徹しましょう、読者に

      • それでも、ステージに上がり続ける人は尊い

        先日、あるtogetterまとめを読んだ。 そこにまとめられていたのは、いわゆる「なろう小説」に対する批判で、異世界で願望充足する話ばかりでなく、もっと鋭く人間の本質を描き出す作品もあるべきではないか……といった内容だった。 このまとめには、その批判をした人の小説の引用も載せられていた。その文章は、正直読みやすいとは言いがたいものだった。おそらくはまとめた人物が「おいおい、人の作品は批判するのに自分が書くものはその程度なのか」という反応を引き出すために引用したのだろう。案

        • 本当に「自分が作ったものには何の価値もないんじゃないか」と思っている人は何に悩んでいるのか

          一読したが、どうも話がずれているのではないかと思った。読んで感じた違和感を、これからできるだけ言葉にしてみる。 ウェブで4年間小説を書いてきて、多くの「自分の作ったものなんか価値がないんじゃないか」と悩んでいる人と接してきた。自分自身、そういう悩みを抱えたこともある。今もそうかもしれない。このエントリは、そうした人たちに『スロウハイツの神様』を勧めているが、この小説では超人気小説家の”コウちゃん”の小説がきっかけで集団自殺事件が起きてしまうそうだ。創作物はときに、そのような

        差別は極悪人の専売特許ではない

        • 書評を「本の価値を自分より上に置く儀式」にしてはいけない

        • それでも、ステージに上がり続ける人は尊い

        • 本当に「自分が作ったものには何の価値もないんじゃないか」と思っている人は何に悩んでいるのか

          モブ作家からみえる光景

          あるブログで、「カクヨムのおすすめ作品〇〇選」というエントリを見かけた。かなり長いエントリだったが、一番下までスクロールしてみても私の作品の名前はない。当然といえば当然だ。膨大な数の作品からわざわざここにピックアップされるほど、私は際立った作品など書けてはいない。それはわかっているが、やはり自分はこういうところに名前の載らないその他大勢の人間なのだ、と思うと、やはり少しだけがっかりする。 もちろんこのエントリを書いた人も、紹介した作品以外はおすすめできない、なんて思っている

          モブ作家からみえる光景

          <注意>しばらく小説は公開しません

          先日公開した私の小説に、投稿して間もないのにすぐにスキがつきました。小説の長さからして、恐らく読んでいないだろう、という速さでの反応です。 私は、カクヨムという小説投稿サイトをメインに使っています。このサイトはできたばかりの頃、ろくに読まずに絨毯爆撃のように評価をつけて回り、お礼として自分も評価をもらうという「星爆」という行為が横行していました。当然、こんな行為はすぐに規制されました。ただの不正でしかないからです。noteは小説投稿サイトではないせいか、この種の行為に対して

          <注意>しばらく小説は公開しません

          <短編小説>さよならレンタルフレンド

          「援助交際がやめられないんです」  それが、黒崎美冬が最初に発した一言だった。私の目の前に腰掛けている女子高生はジーンズに黒のタートルネックというシンプルな格好をしているが、今までの経験では援助交際をしている子にいかにも遊んでいるという風体の子はあまりいないものだ。 「なるほど。黒崎さんはその行為をやめたい、と思っているのですね」    心理カウンセラーである私は、彼女の台詞に驚くことはない。私は15回戸締りを確認しないと家を出られない男や、宇宙人にさらわれて脳の改造手術

          <短編小説>さよならレンタルフレンド

          ウェブ小説の世界に「錯覚資産」はあるか

          人は実力ではなく「錯覚資産」で評価されている、という話がある。ざっくり言うと、何をするかより、それを誰がするかが大事、ということだ。同じことを言っていても有名人、容姿の良い人が言う方がはるかに評価されてしまう。そんな理不尽な世界に、我々は生きている。 では小説の世界はどうだろうか。ウェブの世界で考えてみると、すでに有名な人、書籍化作家はスタート地点で有利だ。ネームバリューがあり、「この人の書くものなら面白いはず」という期待で読んでもらえるからだ。書籍化できたのは当人に実力が

          ウェブ小説の世界に「錯覚資産」はあるか

          「自作を自分で貶すな」について思うこと

          創作関連の人をたくさんフォローしているので、ツイッターのTLには多くの創作論が流れてくる。なかでもよく見かけるのは「自分の作品を貶すな」というものだ。自分で自分の作品を悪く言うなんて、貴方のファンに失礼じゃないか。もっと自信を持て。どうしてもっと胸を張れないんだ。 その言い分自体は正しいのだろうが、こういう正論を耳にするたびに、どうも私はモヤモヤとした気持ちになってしまう。それは、こういう話をするのはたいていプロか、そうでないにしてもかなり多くのファンを抱えている、要は「力

          「自作を自分で貶すな」について思うこと

          自己満足の小説を書くのは難しい

          プロを目指すのでなければ、小説なんて自己満足で構わない。むしろ100%自己満足できる小説を書ければ、それが一番いい。自分で満足できるなら、他者の評価を求める必要もないからだ。 しかし、小説の性質上、自分が100%満足できる小説を書くのは難しい。これが料理なら、自分で作ったものを自分で食べて満足するのは難しくない。しかし小説は、舌ではなく心で味わうものだ。当然、自分で書いたものには自惚れのフィルターがかかり、評価が勝手に上方修正される。他人の目で自作を読むことができないのであ

          自己満足の小説を書くのは難しい

          「ウェブ小説は精神のポルノだ」という言説について思うこと

          小説家になろうを始めとする小説投稿サイトで流行る作品の多くは「精神のポルノ」だ、などと言われることがある。これはウェブ小説を揶揄する側だけが言っているわけではなく、実際に小説家になろうから再デビューを果たしたプロ作家にもそう言っている人がいる。全員がそうだとは思わないが、読者への徹底したサービスこそがウェブ小説界で成功するコツだと思っているプロが存在することは確かだ。 今は状況が変わってきているが、一時期はチート的な能力であるとか、ハーレムであるとか、読者の欲求をストレート

          「ウェブ小説は精神のポルノだ」という言説について思うこと

          人に創作理論を説くならまず自作を晒せ

          ここでは小説に限った話をするが、このジャンル、とかく人に書き方を指導したがる人は多い。他ジャンルに比べるともっともらしいことを言いやすいからだろうか。プロなら問題ないだろうが、それらの指導屋のなかには、どれだけの実績があるのかよくわからない人もいたりする。それどころか、当人の執筆能力すらまったく不明という人も多い。 それでも、世の小説志望家は藁にもすがる思いからか、正体すらよくわからない人のアドバイスを一生懸命聞いていたりする。いつも利用している小説投稿サイトでも小説講座の

          人に創作理論を説くならまず自作を晒せ

          「貴方の小説を編集者に紹介してあげます。私の作品を評価してくれたら」

          ウェブの小説書きは、皆評価に飢えている。評価されない人ほど、評価されれば嬉しい。だから、このタイトルのような甘い誘い文句にもうっかり乗ってしまう人も出てくる。 この人は自作の評価を増やそうとして、「編集者への紹介」という餌で多くの人を釣ろうとした。普通なら怪しいと思うが、それでも何人かは釣られる人もいた。実はこの人の作品は小説投稿サイトのあるコンテストの中間選考を通っていたのだが、当然こんな利益誘導で評価を増すことは許されるはずもなく、中間選考通過は取り消されてしまった。

          「貴方の小説を編集者に紹介してあげます。私の作品を評価してくれたら」

          セルフほねらね理論こそ創作の原点

          ある年齢にさしかかり、どうも世の中に読みたい小説がない、と思うようになった。ファンタジーはもう飽きたし、歴史ものは知識が増えるごとに新味を感じられなくなった。SFはもともと苦手だし、ミステリもあまり興味がなかった。もうフィクションは楽しめないのではないかとすら思っていた。 「それなら、読みたいものを自分で書けばいいんじゃないか?」 あるとき、どこからかそんな声が聞こえてきた。気がついたら小説を書くようになっていた。それから3年、どれくらい上達したかわからないが、書くことを

          セルフほねらね理論こそ創作の原点

          「全員がスカウターを装備している世界」でサバイバルするということ

          「私は自作が読まれないのが嫌なんじゃない。読まれていないことがわかってしまうのが嫌なんだ」 こう言って、ある小説投稿サイトから撤退した方がいた。その人の作品は私も読んだことがあって、良いと思ったからレビューを書いたこともあるくらいだけれども、あまり読まれていなかったのはウェブとのマッチングの問題だったかもしれない。 ウェブ小説というのは、評価やPV数などがすべて数字で可視化されてしまう、ある意味とても残酷な世界だ。どの投稿サイトにもランキングがあり、それぞれの作品はすべて

          「全員がスカウターを装備している世界」でサバイバルするということ

          noteことはじめ

          https://note.mu/atohsaaa/n/ndb9cd42a00d5 noteの世界には小説界隈の人が多いと聞いたので、これからはこちらで創作にまつわるあれこれを書いていこうと思う。 今まで3年間はてなブログを書いてきて、そこでは読んだ本やら日々考えたことやら創作の話やらをしてきたけれど、創作の話はそれほど向こうでは読者の興味を惹けなかった。 ここならなにか変わるのだろうか。小説の方も、ちょうど書き始めて3年がすぎた。プロになれたわけでもなく、ウェブでバズる

          noteことはじめ