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最後の一秒まで楽しいのもいいかも

多分 人より疲れやすい性質の人間なのかもしれないけど、謎に私は健康である。
大きな病気をしたこともないし、憧れの入院もしたことがない。
気質と環境により、メンタル弱めだった時期と、病みの闇からの脱出に費やした”潜りの季節”はあったものの、現在は とても幸せな健康優良人だと思う。

だがしかし、思考の癖というものは わりと根深いもので、こんなにも幸せに過ごしているというのに、常にどこかで、先にある死を意識してきた。
普通に、平均年齢から考えるとまだ数十年ある未来なんだけど、万が一に備えて、”終活”しなければ。。とやたら考えているのは、この世界からのログアウトに、永遠の休息という魅力を感じているからなのかもしれないな。

そして先日、私は49歳になった。
当日は全くお誕生日の気持ちじゃなかったから、今年のお誕生日は、めちゃくちゃ楽しみにしているライブがある9月に延期することにしたんだけれども。
てゆーか、49歳とか凄すぎる。
よく生きたぞ、私。エラい!エラすぎだ!
なんだかとっても感動した。

結婚はしたけど、別に家事もしないし、子どももいないし、私は私のことしか考えてないし、子ども的ポジションだった犬ちゃんも天に召されてしまったから、もう何も誰も時間の制約してこないし。
家の中に人の気配はあるものの、その気配の人が、例えば病気とか何かトラブルにならない限りほぼ一人暮らしの感覚で暮らしている。

そんなある日、田村セツコさんの新刊が出ていることを知った。
セツコさんは、かわいい。
小中学生の頃、お昼の小堺さんが出ていた番組で見た時から大好きな人だ。
セツコさんのエッセイは、本当にキュートでふわふわしていて魅力的なのだ。

セツコさんは、85歳になっていらっしゃった。
なのに、その可愛さは何も変わっていない。
最高に可愛らしいのである。
セツコさんの暮らし、考え方、変わらない笑顔、なんとも可愛らしいレディのままだった。
まさしくセツコさんが描く女の子のまま。
空想、理想、憧れは、やはり実写化し続けても良いのだ。

そして思った。
終活よりも存分にまだやることあるわ。

単純に、時間はまだまだある。
神が突如世界を滅ぼす日、みたいなのが来ない限り、とりあえずまだある。

セツコさんに、ここから先のわくわくをもらってしまった。
ありがたすぎるし、楽しすぎる。

私も全力で好きなことだけやるわ。
楽しいことだけやるわ。


この本じゃないけれど、以前に書かれたセツコさんのエッセイに、自分の部屋から見える夜の風景を書いたものがあって、
街を走る電車の明かりを”流れるネックレス”と表現してて、それがあまりにも綺麗に心に沁みて大好きで、
なんだか心がギュッとしてしまっている時に、その風景を空想して、安心するようにしています。

よーし。
これから先、最後の一秒まで、私の楽しいを作り続けて暮らしてくぞー。

そんな感じで気持ちを新たにしたある日、でした。



しかしまぁ、実際に会ったこともない、正直”知らない人”の書いた本なのに、本ってすごいよね。
言葉って、すごいよね。

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