月に歩きだす

イシムラさんに純文学誌に投稿してみるようにおススメされてもう一か月か二か月、いろんなことにジタバタしながら、少しずつ原稿を書いていたのだけれど何かが足りない。溝の口のデニーズでパフェとドリンクバーをごちそうになった。艶々したキミドリのシャインマスカットの小さなパフェ。秋の初めだったっけ。白島さんが上京されてきたときもあのデニーズだったし、今度あかりちゃんと筆写会をするときもあの場所がいいかもしれない。

昨夜は十月のおしまいを飾る真ん丸でぴかぴかとしたお月様だった。だいぶ金色に染まってきたイチョウ並木の向こうの真っ黒な夜に月がぽかぽかちょっと眩しいくらい浮かんでいた。そろそろコートを出そう。

手をつなぎながら月を見ていたらなんだか分かった、私に足りないのはインターネットに日記を書くことだと。もともと私はずっとインターネットに彷徨う幽霊で、サイトを作って日記を書いて、日記のはざまに危なっかしい何かを置いていた。夢日記だったりもすれば夢日記から延長になったような物語だったりもした。高校生のころ、お弁当屋さんのバイトが終わって、大量に唐揚げやトンカツやらを揚げた油臭い体で実家への坂を上りながら、どんな日記を書こうか考えたり、物語が下りてくるのを待っていたりしながら歩いていたこと。お弁当屋さんのバイトは面倒見のいい店長が辞めるまで一年間続け、帰りは二十三時になることもあって、秋にケヤキ並木の向こうにこうやって満月を見たこともあったろう。実家に続く坂に続いているのは金色のイチョウ並木ではなく、赤茶色のケヤキ並木だった。

高校生の頃はこんな風に生きる日が来ると思わなかった。もっとどうしようもない、生きているんだか死んでいるんだか分からない、人間なんだかロボットなんだか分からない日々を送るんだろうと想像していた。その私を私は幾度も幾度も殺してきて、死体の私を生かそうとしてくれる人たちがいて、やっと、なんとか歩き出す人間になれた。

もちろんまだ欠落している箇所があって、ポンポン色を塗るように文字を置き続ける。そうしてしか埋められないもの。

こごえるような帰り道、ざわざわとケヤキの葉を鳴らす黒い風の音が耳の底にまだ染みついている。秋に乾いてきた葉が鳴らすのは新緑のころや夏のころのシャラシャラ踊る青い音とは違う、少しずつ死んでいく、心の底を痛めるようなかさつく音だ。でも早くも落ち葉特有の甘い香りもする。朽ちていくもののやさしいくるむような甘さ。そうしてかたくなった葉の向こうに冷たい月があって光は細くって私を刺すようだった。

いまの私が見る月は金色のイチョウ越しに見える月、ガラスケースごしに色とりどりのバラが薄っすら見える花屋さんを曲るとパッと広がって光っている。ほっぺみたい。

自分の内側にあるものが変わると冷たく貫く光に見えたり、甘いほっぺみたいに見えたり……。

高校生の私と今の私が上手に重なることはできるだろうか。

どこかへと歩みだすはじまり。夜に歩いていく。

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