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「ダメな自分」は何とかしない方がいい(その2)

「大人げないと思われるんじゃないか…」と思いながら、大人げない言動をする。
「なんて自分勝手な人間なんだ…」と思いながら、自分だけ事なきを得たいと思う。
「いつもニコニコしていないといけないのに…」と思いながら、不機嫌さを押し隠せない。

これの何がよろしくないかというと、この「 」の部分、自分に対する「罪悪感」をベースにしているということ、それが諸悪の根源だと、あらためて認識したんです。

自分には根深い罪悪感があるなということは、かなり前から気が付いてはいたんですよね。しかも、それは「無実の」罪悪感というか、親が私をコントロールするために刷り込んだ、あるいは親自身の罪悪感を私に投影した、いわれのない、本来、自分が抱く必要のない罪の意識だということも。

でも、長年にわたってしみついた、恐怖を下敷きにしたクセというのは、そうそう簡単にリセットすることがかなわないんです。頭でわかっていても、自動的に反応、発動してしまう。
なので、気が付いたからといって、その長年の思いグセが、たちどころに解消するわけもなく、「あ、今、罪悪感を感じてるぞ…」と、ひとつひとつ自覚するところから始めて、自分を責めるような脳内の独り言を、できるだけ減らす試みを続けました。

「罪悪感を感じている自分」に罪悪感を感じるという、訳のわからないループ(笑)に陥りつつも、善だとか悪だとか、美しいだとかみっともないだとか、成熟だとか幼稚だとか、自分の言動や思考に対して、いちいちジャッジめいたことをするのをやめにしようと。

そうしたら、いつの間にか、絵に描いたような素晴らしいシチュエーションが与えられ、物事の流れがとてもスムーズ、かつタイミングがよくなり、ガツガツと求めずとも必要な情報が集まってきて、幸運極まりない出来事が起きて…(←今ココ)、な、なんなんだこれは!!一体何が起きているんだ?!と、いい意味で軽くパニックです(笑)

貧乏性、苦労性の抜けない私にとって、ここが踏ん張りどころというか(笑)、いやいやいやいや、私なんかにこんなありがたい状況は分不相応だし、もったいないし、きっと近いうちにすべてが失われて、ぬか喜びだったと泣くはめになるんじゃないか(ドキドキ)…なんて思ってしまうんですよね(笑) うっかりすると。

幸せ慣れしてないって、まさにこういうことだよなと、ひとりツッコミの毎日ですが(笑)、自分のダークサイドばかりに目をやらずに、ニュートラルな視点で自分自身を捉えること、自分を責め倒さず、逆に自分を救済するような方向で生きること、毎日、自分の心が安らぐことや自分の心が温まることに意識を向けるよう心がけること、「ダメな自分」を何とかしようとする努力を、こういうことに少しずつ置き換えていけば、本来、自分のところに届くはずの幸せや温かさや心地よさは、自然と手元にやってくるのだと思います。

引き続き、自分を温め続けていこうと思います。

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