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No.005:悼み(いたみ)(2014年8月24日執筆)

「悼む|(いたむ)」とは、「人の死を悲しみ嘆く。」と辞書に書いてあった。

 先日、私の知人が急病により逝去された。
「二週間後にまたお会いしましょう」
 この言葉が私と知人が交わした最後の言葉だったと思う。

 私はちょっと厄介な病気を抱えている。
 私の知人とは、私の主治医だった先生のことだ。
 先生からして見れば、医師と患者の一人という関係だったかもしれないが、茶目っ気があり、診察中に雑談や自身の体験談を話してくれる先生に対して、私は会社の上司や先輩のような親しみを感じていた。
 私は今はまだ先生の死を信じられずにいる。
 クリニックの診察室のドアを開ければ、また先生に会えるのではないかと思っている。
 私の祖父や祖母が亡くなった時は悲しみを感じたが、祖父も祖母も八十歳代で亡くなったので、寿命で仕方のないことだと思い、悲しみの感情はいつしか消化されていった。

 しかし、先生の死は違っていた。
 先生の死によって、私の心に新たな感情が芽生えた。
 それが、「悼み|(いたみ)」だ。

 私の感じる「悼み」とは、喪失感を心に植え付け、二度と会えない悲しみを抱かせ、「死」を間近にあることと感じさせ、その人が生きていたことを心に深く刻みつける感情だ。
 今のところ、「悼み」の感情は拭い去れず、私の心は「悼み」の感情が新たな土台になり、その上に今までの喜怒哀楽の感情が乗っかているような状況だ。

 先生は学生時代の頃、小説家に憧れ、志を共にする仲間と同人誌を発行したそうだ。
 先生は、自らの命をもって私に「死」についてと、「悼み」の感情を教えてくれた。
 現在執筆中の作品では、私は主人公に死を与える。
 今後執筆する作品でも「死」をテーマにした作品や、生み出したキャラクターに死を与えることになるだろう。
 先生の死を私は今後の執筆活動の糧としたい。

 先生、さようなら。

 またいつか会いましょう。

 今は安らかにお眠りください。

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